種 名 | リョコウバト Ectopistes migratorius |
性 別 | オス |
番 号 | 蜂須賀標本 No.3486 |
採集日 | 1888年12月27日 |
採集地 | アメリカ合衆国 インディアン・テリトリー カナディアン川 |
子供向けの動物の絶滅の本に登場する動物は、日本の動物ならニホンオオカミやトキでしょうが、外国の動物ではドードーなどと並んでこのリョコウバトという北アメリカ産のハトが代表格です。
リョコウバトは、尖った翼と長くて尖った尾を持つスマートなハトでした。この標本はオスで、頭部と腰の青灰色と、胸から腹にかけてのロゼワインのようなバラ色がとても美しい対照をなしています。襟には金属光沢があって見る角度によって紫色にも緑色にも見えます。全長は約38センチあります。
リョコウバトの名前は、大群で渡りをする習性に由来しています。開拓時代の北アメリカには、大陸東部の広大な大森林にこの鳥が想像を絶する数で分布していたことが記録に残っています。アメリカの初期の鳥類学者オーデュボンは、1813年にケンタッキー州でこの鳥の大群が3日間途切れずに飛ぶのを観察し、3時間に通過したハトだけでも控えめに計算して11億5000万羽あまりいたと試算しています。
開拓者たちはほとんど無尽蔵とも感じられるこれらのハトを、銃や網など考えつくかぎりの方法で狩って食用にしました。19世紀中頃になって出てきた商業的なハト猟師は、おとりのハトと網を使って、1人1日数百羽ものハトを狩り、樽づめにして、当時発達してきた鉄道でシカゴやニューヨークといった大都市に大量に出荷して生計を立てたのです。
19世紀の後半に入ってリョコウバトは減少を始めますが、真剣な保護対策はとられませんでした。これは、リョコウバトがたくさんいた頃から年によって同じ場所に来たり来なかったりする鳥だったことも一因でした。数が減ってもどこか人間の知らない土地に大群で移動して暮らしているだけではないかと軽く考えられてしまったのです。世紀の末には野生ではほとんど記録されなくなり、1914年にシンシナチ動物園で飼育されていた最後の個体が死んで、リョコウバトは絶滅鳥の仲間入りをしました。
リョコウバトの絶滅の原因は、通常人間による直接の迫害に帰せられていますが、最近の研究者のなかにはむしろ開拓による森林の激減こそが主な原因であるとする人もいます。いずれにせよ人間の活動が種の絶滅をもたらした最も顕著な例のひとつと言えるでしょう。
この標本は、絶滅鳥の研究で有名な鳥類学者・蜂須賀正氏(1903~1953)の収集品です。リョコウバトの標本はアメリカの博物館には所蔵しているところが少なくありませんが、日本では山階鳥研にあるだけだと思います。(資料室標本担当 平岡 考=ひらおか・たかし)
山階鳥研NEWS 1998年10月1日号(NO.115)より