NHK教育テレビ「視点・論点」2003.10.20放送より |
トキのたどった道
財団法人山階鳥類研究所所長
山岸 哲 |
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トキという鳥はコウノトリの仲間です。学名をニッポニア・ニッポン(Nipponia
nippon)といい、「日本」という名が2つも入った国の特別天然記念物で、国際保護鳥にもなっています。朱鷺色は、この鳥の翼の淡い紅色から来ています。
その日本産トキの最後の1羽、雌の「キン」が、佐渡のトキ保護センターでこの10月10日早朝に死にました。推定36歳でした。人間で言えば100歳を超える高齢だったといわれています。
キンは佐渡で、今から36年前の1967年夏に、まだ子供で、里へさまよい出てきて、宇治金太郎さんによくなつき、その手から餌のドジョウをもらうほどになりました。「キン」という名前も、実は宇治金太郎さんの「金」から取ったものなのです。その翌年、キンは国の政策によって金太郎さんの手によって捕獲されて、以後ずっと「佐渡トキ保護センター」のケージの中で過ごしたわけですが、彼女が独りケージの中で私たちに問い続けてきたものは何だったのか、これを機会に考えてみたいと思います。
さて、キンの果たした役割は、何だったでしょうか。ためらう宇治さんに国がキンの捕獲を依頼したのは、ほとんど絶滅状態のトキを飼育下において増殖を図るためでした。そのために飼育施設もでき、獣医さんが召集されたわけですが、日本産同士のつがいからは、その後ついに子供を作ることができませんでした。
この間、1981年には、野生に残った5羽のトキが全部捕獲され、飼育施設に移され、ついにわが国では、野生のトキはいなくなってしまったのです。時を同じにして、この年に中国にまだトキが山奥に残っていることが発見され、中国でも人工飼育が試みられるようになりました。そして、幸いなことにあちらでは人工飼育が成功し、数が増え始めたのです。しかし、日本産のトキ同士のつがいからは子供ができず、そうした中で中国との国際協力で、中国産のトキと日本産のトキをペアリングする試みがなされましたが、それもまた失敗に終わりました。そして最終的には中国から借りてきた「友友」と「洋洋」のつがいから、1999年に国民待望の「優優」が誕生し、ここに国内初の人工孵化に成功したのでした。その後、雄の「ミドリ」が死亡し、国内産は今回死んだ雌の「キン」だけになってしまっていたのです。しかしながら、佐渡のトキ保護センターでは中国産のトキたちは順調に数を増やし、現在39羽が元気に施設の中で生活しています。キンの存在は、「人工増殖技術の発達」や「飼育下での繁殖生理の研究の進展」をもたらし、中国との研究協力と人工増殖の成功に道を拓き、さらに、いまや4年後を目指した「野生復帰」の夢も膨らんできています。
ところで、ここで2つの問題が出てまいります。一つは中国産のトキを日本の空へ放そうとしているわけですが、これが遺伝的に日本産のトキと同一のものかどうかという点です。これは早稲田大学名誉教授の石居進博士や、私たちの山階鳥類研究所と兵庫医科大学の山本義弘博士との共同研究によって、両者にほとんど違いがないことがわかってきました。
もう一つは、放してやる先の生活環境の問題です。農薬付けの農業、過疎による棚田放棄と乾田化、営巣地の森林の伐採など、トキを絶滅に追いやってきた自然環境をどのように取り戻してやるのかが、大きな問題になっています。これについては兵庫県豊岡市がコウノトリの野生復帰で、一歩先を進んでいますので、それがきっと重要な参考になることでしょう。新潟県や、地元のNGO,NPOもまたがんばっているようで、その成果も期待されます。
こうした「野生復帰」を行うには、水田については農水省、河川については国土交通省、森林については林野庁、天然記念物は文部科学省、それとは別に環境省も独自にやるというように、従来のようにバラバラの縦割り行政ではなく、環境省を中心とした総合的な施策が必要でしょう。それには、現在環境省の肝いりで進められている国の『新生物多様性国家戦略』が、まさに今試されるときに来ているといえるのかもしれません。
絶滅危惧種の保全を図るには、「野外での保護」と、同時に「室内での増殖」とが車の両輪でなされなくてはなりません。もっと言えば、人工増殖で産まれた個体は、野外で実際に生活している個体群の中へ戻されるのでなくてはなりません。中国のすばらしいところは、これが見事に果たされ、270羽の野生トキと292羽の飼育トキが並存しています。日本は残念ながら、野生が1羽も存在しない、片肺飛行です。両国とも順調に増加しているように見えても、実はその内容がまったく違うのです。
いま、環境省のレッドリストを眺めてみると、鳥類に限らず、悲しくなるほど、その数が多いのに、いまさらながら驚かされます。すでに絶滅してしまったものが、今回のトキを含めて14種もいます。さらに絶滅が最も危惧される、絶滅危惧種I類はシマフクロウ・ノグチゲラ・イヌワシ・ヤンバルクイナなど42種もいます。次のランクの絶滅危惧II類にはアホウドリやタンチョウやライチョウなどがこれに入るのですが、それが47種、これだけで90種近くにものぼります。
キンの死は、トキだけの問題にしてはならないと思います。こうした、絶滅の渕にあえぐ、生き物たち全体を、これから私たちがどうしなければいけないのかを考える、きっかけにしなければならないでしょう。もしトキについて、その人工繁殖が、遅きに失したとすれば、シマフクロウやノグチゲラやライチョウは、いったいいつ収容して、飼育増殖に踏み切るべきなのかどうか、こうした具体的な論議は十分なされているとは思えません。それはちょうど、火災が起きて、燃え出すとあわてて大金をはたいて消火に当たるのによく似ています。そして、不幸にして焼けはててしまうと、その再建にとりかかるわけです。それがいわばコウノトリやトキの野生復帰ではないでしょうか。そうではなく、未だ火災が起きない前に、「火の用心」を呼びかけるのに、なかなか国はお金を出したがりません。「自然再生事業」も、言ってみれば、火災の事後処理のようなもので、それももちろん大事ですが、通常の状態での野生動物をどう管理するのか、平時から野生動物とどう向き合っていけばいいのかを、真剣に考えてくださいと、キンは言い残して死んで行ったような気がするのです。
キンの冥福を心から祈りたいと思います。 |
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