歴代所長からのメッセージ


手賀沼学会設立総会より(2004年7月10日、於:中央学院大学)
手賀沼学会設立趣旨の説明

山階鳥類研究所所長 山岸 哲
 関西に住んでおりました私が、この手賀沼のことが最初に気になり出したのは、ある学生さんの学位の審査員をしたときでした。その学生さんは京都大学の生態学研究センターの大学院生で、松原健司さんといいます。彼は当時、山階鳥研で杉森さんの指導をうけて、手賀沼のハシビロガモというミジンコなどの動物性プランクトンをもっぱら食っている鴨の生態を調べておりました。研究内容をここでいちいち申しあげても仕方ないので、省かせていただきますが、一口で言うと、炭素・窒素の安定同位体比を使って、この特別な鴨の食性(つまり食い物ですね)を明らかにしたものです。そのときの私の正直な感想は、ともかくこのようなたくさんのハシビロガモが生活していけるほど、この沼は動物性プランクトンが多く、そのことはまた、この沼がそれほど汚染しているのだということでした。
 さて、我孫子にお世話になるようになりまして、地元の野鳥の会の方から、過去数十年にわたる、この沼の鳥類の種類と、数の変化の、調査結果を見せていただく機会がございました。それを見て、驚いたことに、ハシビロガモは、あるときをピークにだんだん少なくなっていることを教えられました。そうです。実は、手賀沼の水質は段々きれいになってきていたのです。そして、そのためには、多くの市民の方々が、実際に水質改善に努力されてきたことも知りました。そして、数年前に、わが手賀沼は水質ワースト1の汚名をついに返上したのでした。
 そのとき私は思ったのです。これは大変なことなのだ、安定同位体比を使って生態学者が調べてきたことは、じつは地元の方々が、コツコツと、学問とはあまり関係のないところでやってこられたことと、見事に繋がっているのだし、もし繋がっていないとしたら、それを繋げる試みをしなければならないのではないか。そう思ったわけでございます。その頃めずらしがって、湖畔を歩きますと、そこには文学碑がたくさんあり、この地が白樺派の発祥の地であることも勉強させていただきました。志賀直哉は「好人物の夫婦」に
深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁が啼いて通る。

と書いております。その頃は、この沼にガンがたくさんすんでいたことも知りました。これは大変なことなのだ。私たちはこの手賀沼を、例えば文学も含めて丸ごと理解しなければ、おそらくこの沼の健康な保全などできないのではなかろうか。丸ごとの中には、農業、漁業、その他この趣意書にあげられたような様々な分野があり、その丸ごと手賀沼に関する文化の総体を理解する学問を「手賀沼学」と名づけたらどうだろう。そして、学者も住民も行政も、中学生も、高校生も、大学生も、一緒にそれを発表し合ったり、討論し合うような場を作ったらどうだろう。それを「手賀沼学会」としたらよろしいではないか。こう思ったわけでございます。
 幸い、福島市長さんはじめ、市のスタッフの方々もそれに賛意を表明され、さらに地域に開かれた大学とはどんな大学なのかを模索され続けてこられた、中央学院大学の大久保学長さんをはじめとするスタッフの方々のご協力を得まして、本日の設立総会へと漕ぎ着けたようなわけでございます。
 したがいまして、この会は紋付袴で参加するというような会ではございません。私も、こうして、ざっくばらんな着流しの格好で参加させていただいております。どうか私ども発起人一同の意のあるところをお汲み取りいただき、この会を大きく育てていっていただきたいとお願いを申し上げて、発会までの経緯のご説明に変えさせていただきます。ありがとうございました。
 



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