山階鳥研の創立者、山階芳麿は、122年前の今日、1900年7月5日に当時の東京市麹町で生まれ、鳥類の研究と保護に一生を捧げました。
戦前にはアジア・太平洋地域の鳥類の分類学に多大な貢献をした山階芳麿でしたが、戦後は鳥類保護に力点を移し、日本の鳥類保護のリーダーとして日本およびアジアの鳥の保全のために尽力しました。コウノトリ、トキなど、絶滅の瀬戸際にあった鳥の保全のため、各地の関係者と連絡を取り、保護への協力を依頼するとともに、自らも現地に出向いて情報収集し、保護対策を提案し、地域社会の理解を得ることに尽力しました。
写真は、1959年5月に、トキの生息地である能登半島に視察に出向いた際の写真です。すでに戦後から極めて少なくなっていたトキはこの頃さらに急減しており、佐渡と能登半島をあわせて10羽あまりまでに減少していました。この時は、山階芳麿は日本野鳥の会会長の中西悟堂と石川県を訪れ、地元の鳥類保護関係者の同行をえて、輪島市洲衛と羽咋市眉丈山の2カ所の生息地を視察しています。そして実際の視察の結果と現地関係者からの聞き取りを踏まえて、伐採の見合わせや一部の水田や用水池を農業生産から切り離してトキのために取り分けること、新聞社が取材のために生息地に入ることを控えること等極めて具体的な保護施策への協力依頼をしました(中西悟堂, 1960「野鳥」25巻1号(通巻199号), pp. 37-53)。
※写真は、前列左から中西悟堂(日本野鳥の会会長)、山階芳麿、村本義雄(後に日本鳥類保護連盟理事)、熊野正雄(金沢大学教授、日本野鳥の会石川支部長)、松田衛(後に日本野鳥の会石川支部長)、その後ろに高野伸二(山階鳥研)の顔が見えます。
※山階鳥研では、この写真も含め、従来、整理の手が回っていなかった、古い書類、書簡、写真などの資料類の整理に着手しています。
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