山階芳麿博士、誕生日おめでとうございます!

山階鳥研の創立者、山階芳麿は、119年前の今日、1900年7月5日に当時の東京市麹町で生まれ、鳥類の研究と保護に一生を捧げました。

1977年には当時の国際鳥類保護会議(のちの、バードライフ・インターナショナル)から、鳥類保護への飛び抜けた貢献を讃えて、ジャン・デラクール賞を贈呈されています。

贈呈の祝辞の中で、国際鳥類保護会議アメリカ合衆国セクションの会長R・クレメント氏は次のように述べています。

「私が山階博士と最初にお会いしたのは1958年で、ニューヨーク州イサカで開催された国際鳥類学会議でのことでした。しかし、博士が鳥類保護問題に対してどれだけ注力されているのかを知ったのは1969年のことでした。この年の10月、博士と私は、日米渡り鳥保護条約の締結について協議するためにワシントンに集まった18人の代表団の中にいました。私はそのとき、誰にとっても、自分たちの言わんとすることを説明するのがどんなに難しいか、一つの文化の中の者が、別の文化を理解するのがどんなに難しいかを知りました。

山階博士は、合衆国代表団が日本を知っているよりも遥かに合衆国のことをご存知で、いくつかの言い回しが、合衆国では完全に無害なものであっても、日本では困惑を招きうることがあること、そのゆえに、我々は同じことを言うために、本質的に同じだが、どんぴしゃりではない、別の言葉を使う必要があることを、辛抱強く説明されました。」(Clement, R. C., 1978. Remarks on presenting the Delacour Medal to Dr. Yoshimaro Yamashina (At Madison, Wisc., 19 Aug. 1977.). Journal of Yamashina Inst. Ornithol. 10(1,2): 18-19.) 

両国の関係者の尽力によって、この条約は、1972年に署名され、1974年に発効しました。この条約はこの後やはり山階芳麿がかかわって締結されたソビエト連邦(のちロシア)、オーストラリア、少し遅れて締結された中国との二国間の条約、協定の最初のものとなりました。

写真は、1977年9月20日に都内で開催された受賞祝賀会の一コマです。左が山階芳麿、中央が朝日新聞のコラム「天声人語」で花鳥風月を取り上げて名コラムニストと言われ、後には日本自然保護協会会長も務めた荒垣秀雄さん、右が、戦前戦後に25年にわたり上野動物園園長をつとめ、この当時日本鳥学会会頭であった古賀忠道さんです。 

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