2024年6月24日掲載
昨年11月に募集を開始したアホウドリマンスリーサポーターに共感してくださった賛助会員の百瀬淳子さんから、新たにアホウドリ調査へのご支援をいただきました。「百瀬淳子アホウドリ基金」として、今後のアホウドリ保全のための活動に役立てていきます。百瀬淳子さんから、鳥島やアホウドリへの想いと応援メッセージをいただきました。
賛助会員 百瀬淳子
アホウドリは、私にとって長い年月の思い入れがある鳥、アビ類の次に関心のある鳥です。大昔、もう半世紀以上も前の話になります。鳥島に気象観測所がありました。夕方になると、ラジオは天気予報で「鳥島では南西の風、風力4」などと放送していました。毎晩のように聞きながら、鳥島というなら鳥がいるのだろう、どんな鳥なのか、どんな島なのかと、当時はまだ鳥の世界には無縁だった私でしたが、何か惹かれるものがあったようで、鳥島の名は心に刻まれました。
週刊新潮の表紙を創刊号から25年間描き続けた、谷内六郎という画伯がおられました。画伯はある号で、鳥島を題材に取り上げました。夜、薄暗い電灯の下、寝床の枕元に座り、ラジオを聞いている男の子の絵です。絵は「遠い見知らぬところの天気予報」と題され、ラジオが「沖の鳥島では風力6」と報じています。小島には海鳴りがとどろいているだろう、大きな怪鳥も飛んでいるに違いない、そばには白い小さな測候所が荒波をかぶりながら立っている……窓の夜空を眺めながら、一心に想像する男の子の姿が描かれていました。「この男の子は私だー」、気持ちがはずんで、私も鳥島を想像して、文を書いたりしたものです。鳥島には、日本野鳥の会入会後に行きました(編集注)。鳥島の鳥アホウドリがゆるやかに飛び交っていました。周りの海をまわりながら、あの鳥島が目の前にあるのが夢のように思えたものです。
日本野鳥の会会員の吉田博画伯が、アホウドリの絵を描いておられましたので、アホウドリ舞う鳥島の絵を描いてもらいました。玄関に飾ってあります。その横には、シロエリオオハムの絵もあります。これはやはり日本野鳥の会関係でお知り合いになった、朝鮮大学校の教授からいただいたのです。刺繍で作られた素敵なもの、この二つの鳥の絵が何十年もわが家の玄関を飾ってくれています(写真)。
わずか10羽生き残っていたアホウドリが、今や7,900羽。すばらしいことです。並々ならぬご苦労の多かったであろう関係者のご努力が、あらためて偲ばれます。そのことに対する尊敬と感謝の気持ち、今後の継続への希望にそれも添えて、寄附をさせていただきます。
(写真・文 ももせ・じゅんこ)
(編集注) 船上からの見学です。
著者略歴 1932年生まれ。宮崎県出身。北欧文化協会理事を2020年まで務めた。著書に『白夜の国の野鳥たち−フィンランドを歩いた日々』(同成社、1990年)、『アビ鳥と人の文化誌−失われた共生」(信山社、1995年)、『アビ鳥を知っていますか−人と鳥の文化動物学』(福村出版、2011年)がある。
2月7日、東京都内で、総裁 秋篠宮皇嗣殿下から百瀬淳子さんに「百瀬淳子アホウドリ基金」への感謝状が贈呈されました。