読み物コーナー

2011年9月7日掲載

東日本大震災で被災した南三陸町の鳥類標本

東日本大震災では東北各県を中心に甚大な被害があり、学術的な資料にも大きな被害がありました。ここでは、地元の方々が長年収集されてきた南三陸町の鳥類標本について、小林さやか専門員が紹介します。

2011年3月11日の東日本大震災で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

山階鳥類研究所では、宮城県南三陸町(旧志津川町)の「志津川愛鳥会」から鳥類標本を寄贈いただく予定でしたが、津波により甚大な被害をうけ、標本も流失してしまいました。ここに紹介することで、被災された関係者の方々へのお見舞いとさせていただければ幸いです。

志津川愛鳥会の標本コレクション。
会の活動が休止するまでの約50年間、標本を収集していた。ただし初期のものは1960(昭和35)年のチリ地震津波で流失した(2010年12月)


震災前の昨年12月、標本を保管されている南三陸町の故・田中完一さんのお宅を訪ねました。田中さんは旧志津川町の開業医であるかたわら、1953(昭和28)年に「志津川愛鳥会」を立ち上げた方です。地域の小・中学生を対象に、子供達に野鳥愛護を通じた環境教育の場を提供するのが愛鳥会の目的でした。そして、会の活動の一環として、地元で斃死した野鳥を剥製標本にして保管し、「将来、博物館を作ろう」という意気込みで収集していたそうです。しかし、博物館の建設は実現せず、また愛鳥会自体も少子化などの影響で、10年ほど前から活動休止状態になり、長年収集してきた標本の将来像が描けくなったため、愛鳥会のOBやOGにより結成された「志津川愛鳥会親交会」の方々が山階鳥研へ寄贈することを決められたとのことでした。

12月の訪問では、おおまかなリストを作成し、135種428点を確認しました。コレクション全体を通して、種類に偏りがなく、地域の鳥類相を表すコレクションであり、地域の自然を語るうえで貴重な財産になり得るものでした。

志津川愛鳥会が保管していたサケイの標本
(2010年12月撮影)


なかには日本で記録の少ない種類の標本があり、特にサケイの剥製標本がその一例に挙げられます。1970(昭和45)年12月16日、愛鳥会の子供達が町内のお寺で保護し、数日後に死亡したものを田中さんが剥製にされました。標本に付いているラベルには「♂(オス)」との記載がありました。日本鳥学会の「日本鳥類目録」にもこの記録が認められています。中央アジアの乾燥地帯に生息する本種の、日本への稀な渡来記録を裏付ける証拠として重要な標本でした。愛鳥会の方々が大事に保管されていたため状態が良く、長く伸びた2枚の尾羽と羽毛に覆われた足が特徴的で興味深い標本でした。また、田中家のエピソードとして、大きなアホウドリ類の展示用剥製の背中に幼いお孫さん達が乗って遊んでいた、などのほほえましいお話をうかがいました。今年4月に標本の移送にうかがうお約束をし、標本に対する愛鳥会や田中家の皆様の思い入れの深さを身に染みて感じながら、帰路につきました。

標本と台帳や文献などとを付き合わせて詳細に調査し、寄贈後、標本目録にまとめるのを楽しみにしていましたが、震災により実現できなくなってしまいました。貴重な資料が失われてしまい、とても残念に思っています。

(自然史研究室専門員 小林さやか)
山階鳥研ニュース」2011年7月号より

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