2020年9月16日掲載
協力調査員 市橋 直規
2020年5月の愛鳥週間にあたり行われた、令和2年度野生生物保護功労者表彰(主催:環境省・(公財)日本鳥類保護連盟)において、鳥取県の市橋直規さんが環境大臣賞を受賞されました。市橋さんは山階鳥研の協力調査員として鳥類標識調査(バンディング)に従事されており、表彰も山陰地方での鳥類標識調査の活動が評価されてのものでした。市橋さんに受賞にあたってご自身の活動を紹介していただきました。
『入海にして秋には白鵠、鴻鴈、鳬等あり』8世紀の書物「出雲国風土記」の一節で、入海(いりうみ)とは今の中海(なかうみ)・宍道湖(しんじこ)を指し、秋になると白鵠(くぐい=ハクチョウ)、鴻鴈(かり=マガン)、鳬(たかべ=コガモ)などが見られたと記されています。
私と鳥を結びつけたのが中海・宍道湖の水面に遊ぶコハクチョウの優雅な姿でした。
この度、標識調査活動が評価され野生生物保護功労者表彰の環境大臣賞を受賞しました。これは地道に続けてきた標識調査へのご褒美、並びに調査を支えていただいた多くの仲間を代表しての受賞と受けとめています。
放送局の報道記者として勤務していた1970年代、「昭和の国引き」と言われる汽水湖の中海・宍道湖を淡水化し、中海の四カ所に大規模な農地を造成するという干拓事業が進められていました。その工事の進捗とともにコハクチョウの塒(ねぐら)となっていた浅瀬が次々と姿を消し、コハクチョウは塒を求めて中海・宍道湖周辺を彷徨(さまよ)うようになったのです。
この状況を取材する中で「減反政策を進める一方で、何故、農地造成なのか」と後戻りが出来ない日本の行政に憤りを感じるとともに「人の営みには、ある程度の開発は必要だが、鳥もこの地球上で生きていく生物なのだ。共存の道はないのか」という思いに駆られ、先例地などを取材していくうちに標識調査を知り、何時しか標識調査の世界に身をおいていました。
中海・宍道湖の干拓は、市民運動が大きなうねりとなって凍結から中止へと進展し、コハクチョウの最後の塒となっていた工事途中の干拓地が「米子水鳥公園」として生まれ変わったのです。
1992年に標識調査の資格を取得し、中海・宍道湖の北に位置する島根半島の東端、美保関(みほのせき)で本格的な標識調査を開始しました。春は美保関、秋は中海・宍道湖に面する米子水鳥公園や斐伊川(ひいかわ)、安来市などで調査を継続、いつの間にか30年が経とうとしています。
この間、美保関をはじめ水鳥公園や宍道湖西岸の斐伊川など中海・宍道湖周辺は渡り鳥にとって重要な中継地なっていることが判りました。特に日本北部を中心に繁殖するコヨシキリが、秋には山陰地方を集中的に通過することが標識調査によって判明し、安来と斐伊川で標識したコヨシキリが、朝鮮半島南部の島で2羽再捕獲(春と秋各1羽)されたほか、斐伊川ではタイで標識されたコヨシキリ1羽が再捕獲され、このように標識調査の継続から山陰地方を通過するコヨシキリは朝鮮半島南部を経由してタイで越冬している可能性が出てきました。
今春は、新型コロナウイルスの感染予防から観光地である美保関での調査を断念せざるを得なかったのですが、これまでの調査では4月中旬から下旬にかけての短期間におびただしい数の小鳥類が渡っていることを突き止め、累計約90種、24,000羽を放鳥しました。その結果、美保関を通過するウグイスが北海道へ、また、ヒヨドリが北九州で越冬していることなどが判りました。
繁殖地と越冬地を往来する渡り鳥にとって中継地が何カ所も必要であることは言うまでもありませんが、その解明には標識調査が不可欠です。しかし、ご多分に漏れず調査員の高齢化が進み、調査を継続するためには調査員の育成が緊急の課題となっています。今後は後継者育成とともに、標識調査が一般社会に広く受け入れられるよう尽力したいと心新たにしています。
(写真・文 いちはし・なおき)