山階芳麿 私の履歴書

 

第12回 ミクロネシア行

新種のメジロを発見 アミーバ赤痢のおまけも

忘れがたいのはミクロネシアへの採集旅行である。ここでは世界的に珍しい鳥をいくつか採集することができた。マリアナ群島、パラオ諸島などを回ったのは昭和7年のことである。

パラオ諸島の一つにアウロン島という島がある。パラオ本島の南西50キロ、ぺリリュー島の北東10キロほどのところにある島で、ここにはツカツクリという大変珍しい鳥がいる。卵を腐食土の中に生みつけてしまい、土中の腐食熱でかえすという鳥だ。これを観察に行ったのだが、土中にはつつが虫がいるという。DDTなどなかったこの時代のこと、くつ下もズボンも石油にひたして出かけた。おかげでダニは上がってこなかったが、足などは石油で真っ赤にはれてしまった。

熱暑の中、そんな苦労をしたすえぺリリュー島につき、現地に一家族だけ駐在している警官の家に泊まることになったが、夜になると4、50人いる現地人が歓迎の宴会をやるという。それが周りにたき火をたき、汗びっしょりになりながら踊り、食べるのである。昼間くたくたに疲れていた私は、ついに体温の調節が狂って39度の熱を出してしまった。夜が明けてから現地人がパラオ本島まで行き医者を迎えてきてくれたが、私はウンウンうなっているばかりであった。

そんな最中なので、明るいうちに採集した鳥が何であったか確かめているゆとりなどなかった。この島には特殊なウグイスがいるので、それだろうくらいに思っていた。ところが、標本にして持ち帰り調べてみたところ、これが今までに世界で二つしか見つかっていない非常に珍しいメジロの一種であることがわかった。前の2羽は、まだこの地域がドイツ領であった1915年に、ドイツ人が見つけたのだが、その後発見されていなかったもので、私の発見後もまだ見つかっていないようだ。私はこの鳥の和名をオニメジロとつけた。

ミクロネシアではもう一つ貴重な発見があった。これは私が行く2年前に折居彪二郎氏がカロリン諸島のポナぺ島で採集したメジロの類であったが、標本を調べてみると、これまでにどこでも発見されていないものであった。動物の命名はそれが新種であることを確認して発表した年月日が1日でも早いものを世界中が公認する。私はこの新種のメジロに早速、「キニロリンカ・ロンギロストラ」という学名をつけて動物学雑誌に発表した。「太陽鳥のくちばしに似た長いくちばしの鳥」と言った意味で、和名はハシナガメジロである。

ちょうどそのころ、アメリカのホイットニー探検隊の一行がやはりポナペ島でこの新種のメジロを採集した。ホイットニー隊は、アメリカの学術雑誌に発表していたのでは間に合わないと思ったのだろう。ドイツの雑誌に送って発表して、「ランフォゾステロップス・サンフォルディ」と名付けた。アメリカ人は長い間、ホイットニーの方が早かったのだとがんばっていたが、実際には私の方が2ヶ月ほど発表が早かったのである。

ただ、日本から動物学雑誌がアメリカに届くまでに2ヶ月近くかかったのに対し、ドイツからの雑誌はそう日がかからなかったためアメリカ人はホイットニーの方が早いと思っていたらしいが、事実問題として雑誌の発行日の違いなどから、今ではこの問題にも結論が出て、私の命名がいれられている。

ミクロネシア旅行では、ありがたくないおまけもついた。それはアミーバ赤痢である。特効薬がなく、その後ほぼ10年近く悩まされたすえ、ようやくなおったが、昭和15年に台湾に採集旅行に行っている最中、台湾州の山の中の関子嶺という所で再発してしまった。応急処置をして日本まで帰ってきたが、今度は終戦後まで出血などが続いた。今、日本医師会の会長をしている武見太郎さんらに診てもらい、ヤトレンやキノホルムを、必要最低限だけ、それも何日も間を置いて服用するなどして、やっとしのいだが、全快したのはサルファ剤や抗生物質の出回った戦後のことである。

(日本経済新聞 1979年5月8日)

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