昭和14年から毎夏2ヶ月近く札幌に行き、ホテル住まいをしながら北大の小熊捍先生のもとに通い、鳥類の雑種の不妊性の研究を行った。雑種の不妊性が起きる仕組みの研究、続いて鳥類の染色体形の研究を行い、これらを統合するかたちで、戦後の昭和24年に「細胞学に基く動物の分類」と題する論文を発表した。
雑種不妊性の研究では、キンパラ科の雑種、次いで鳩の種間雑種を作って生殖器を調べたが、キンパラ科の雑種は生殖器が発育不良で、機能を果たしていないこと、また鳩の場合は雑種を作った両親の種類によって生殖器が正常で機能を果たしている場合と、発育不良で機能を果たさない場合とがあることがわかった。
この研究の中で、雑種の細胞学的な研究をする場合には、若くて元気よく、しかも繁殖期の少し前の鳥が一番よいことがわかったので、改めて研究用に鳩の雑種を作り始めた。私の家の庭に建てられていた30ほどの禽舎(きんしゃ)の中のいくつかを雑種研究用にあてた。
雑種の不妊性が起きる原因をつきとめたのが、続いて行ったアヒルとバリケンの雑種ドバン(土蕃)の研究であった。バリケンというのは台湾あひるとも呼び、南米原産の鴨の一種である。台湾ではドバンを盛んに作って肉用としている。これは早熟早肥で肉質もよいのだが、繁殖力がない。早熟である点や繁殖力がない点など、細胞学の研究には具合が良いので、昭和15年に台湾に行ってアヒルとバリケンを持ち帰り、その雑種ドバンの研究に着手したのである。その結果、次のような雑種不妊の仕組みがわかった。
生殖細胞の核の中には染色体があって遺伝子をのせているが、高等動植物は普通2倍数の染色体を持っていて、受精して核分裂をする前に、染色体の数が一度半分に減る。これを減数分裂という。減数分裂の時には父と母の相同の染色体が一度ピッタリ合い、これがまた分かれて半数の染色体を持ったオスの精子と、半数の染色体を持ったメスの卵子に育ってゆく。
父母が同種だったり類縁関係が近ければ、染色体のくっつき合いと分れがうまくゆくが、父母の類縁関係が遠く、染色体の遺伝子が同じでないと、染色体はピッタリ合わず、またうまく分かれない。そのために完全な精子や卵子ができずに不妊となるのである。
バリケンとアヒルの雑種の研究からこうした雑種不妊性の仕組みがわかったので、次は類縁関係のある両親の雑種をいろいろ作り、その不妊性の度合いを研究し、それを目安にして逆に両親の類縁関係の近さを測ってみることにした。この材料にはキジ科を使ったが、その結果、キジとコウライキジは非常に近く、ニワトリとコウライキジは遠い類縁であることなどがわかった。これらの研究に基づいて、「鳥類雑種の不妊性に関する論文」を数編書き、この論文により、昭和17年1月に北大から理学博士号を贈られた。
鳥類の染色体の研究は20世紀初めからヨーロッパで始められたが、見るべき成果もなく、やっと昭和12年に小熊・牧野両先生によって小型染色体の数まで正確に決定されるようになった。これは、鳥の染色体が他の動物の五十分の一から百分の一の大きさしかなく、一方、数は10倍もあるので研究が大変むずかしく、動物の染色体の研究者はいても、鳥に手を染めようという人はいなかったためである。
もう一つ、技術的な困難もあった。現在でこそ電子顕微鏡が数十万倍の映像を鮮明に見せてくれるが、私が研究していたころの最新鋭の顕微鏡が2000倍のもので、ドイツのツアイス社だけが開発したものであった。私たちの時代は光学顕微鏡だけしかなかったので、研究者はみな眼を酷使し、いためていた。私も右眼が中心性網膜炎(もうまくえん)となり、ちょうど顕微鏡をのぞいている時のように中心部が丸く見えなくなってしまっている。
また、細胞研究の時には生きた細胞を瞬時に固めてしまい、それをスライスして顕微鏡で見るが、細胞を固める際、オスミウムという金属を入れたオスミック酸液で固定するのが一番良い。けれどもオスミック酸は日本ではとれず、戦時中でもあったので、薬品の減り具合を心配しながらの研究であった。
(日本経済新聞 1979年5月12日)