2021年11月25日掲載
自然界はさまざまな生物がさまざまな関係を結ぶことで成りたっています。昨年、太平洋の島々に広く分布する寄生性のヤマビル類と、長距離移動する海鳥類の関係を、ヒルの仲間の研究者と複数の鳥類研究者の協力によって明らかにした論文が発表されました。第一著者の中野隆文さんにこの研究について解説いただきました。
京都大学理学研究科 准教授 中野隆文
「ヒル(蛭)」と聞くと、多くの方が「吸血動物」を連想するかと思います。実際には、ミミズを丸呑みする捕食性の種もいますが、チスイビルやニホンヤマビルは、人を含む脊椎動物を吸血する種で、この2種が我々に与える印象は強烈です。これら2種は、口腔(こうこう)内に無数の「歯」を有する「顎(あご)」を3つ有しています。それら3つの顎で脊椎動物の皮膚に傷を付けて吸血しています。
ニホンヤマビルを含むヤマビル科の中には、顎を1つ失った、二つ顎のグループが存在します。三つ顎のヤマビル類が南・東南・東アジアに限定的に分布している一方、二つ顎のヤマビル類は、インド太平洋に広く分布しています。さらに、二つ顎のヤマビル類は、海洋島(注1)にも生息しており、このグループが示す広域分布は、「渡りを行う鳥類」への寄生によって成立したに違いないと、考えられてきましたが、長距離の渡りを行う鳥類が、二つ顎のヤマビル類の宿主として報告された例はこれまでありませんでした。
私が大学生時代(そして今も)所属する研究室は、爬虫類を中心とする陸棲(りくせい)脊椎動物の系統学・分類学を専門としていました。研究室に所属する際に、疋田(ひきだ)努教授(現 京都大学名誉教授)のもとに、「ヒルなんですけど、お願いします」と、転がり込んだ時を懐かしく思い出します。
それはさておき、研究室の先輩のお一人が、山階鳥類研究所の山崎剛史研究員で、東京で佐藤達夫氏が、千葉で木村裕一氏が、それぞれに保護なさったシロハラミズナギドリの眼窩(がんか)より得られたヒル類の標本を貸してくださいました。ですがその時すぐに論文にできず、それら標本はしばらくの間私の「宿題」となったのです。
幸か不幸か「宿題」状態が続く中、小笠原自然文化研究所の鈴木創(はじめ)氏、鈴木直子氏らより、小笠原諸島において保護されたオーストンウミツバメやシロハラミズナギドリの眼窩から得られたヒルの標本(写真1~3)を提供いただきました。さらには、山崎研究員を通して、当時環境省のやんばる野生生物保護センターに所属なさっていた上開地(かみがいち)広美氏からも、沖縄島で保護されたシロハラミズナギドリの口腔から得られたヒル類の標本を提供いただいたのです。
それらヒル類標本の形態とDNAを調べた結果、標本は全て太平洋中央部に位置するパルミラ環礁に生息している二つ顎のヤマビル類、「パルミラフタアゴヤマビル」であることが明らかになりました。「二つ顎のヤマビル類が、長距離の渡りを行うミズナギドリ類(注2)に寄生すること」、そして、「約6,000キロメートル離れた日本列島と、パルミラ環礁に同種が生息している」ことが判明したのです。さらに、山階鳥類研究所の富田直樹研究員にミズナギドリ類研究の視点から論文執筆にご参加いただき、最終的に総勢8名による共著論文を寄生虫学の学術雑誌であるParasitology誌にて発表しました。
吸血性ヒル類がどのようにして現在の分布域を形成したのか。この問いに対する答えは、「宿主の動物」と関わる方々との関係なしには決して得られないものです。パルミラフタアゴヤマビルの分布域や生活史も全容解明にはほど遠い状況です。全ての始まりは爬虫類の研究室に籍を置かせてもらったところから。賜った縁を大切にしながら、地道にヒル類の自然史の一端を解き明かしていきたいと考えています。得られた知見が、皆さんの知的好奇心をわずかばかりでもくすぐるのであれば、ヒル屋として冥利(みょうり)に尽きます。
(写真・文 なかの・たかふみ)
(注1)大洋上にあって、過去に大陸と地続きになったことがない島。
(注2)オーストンウミツバメもシロハラミズナギドリもミズナギドリ目に分類されています。
この結果は左記論文で発表されました。
Nakano, T., Suzuki, H., Suzuki, N. Kimura, Y., Sato, T.,Kamigaichi, H.,Tomita,N., & Yamasaki, T. (2020) Host-parasite relationships between seabirds and the haemadipsid leech Chtonobdella almyrae (Annelida: Clitellata) inhabiting oceanic islands in the Pacific Ocean. Parasitology, 147(14): 1765-1773. DOI: https://doi.org/10.1017/S0031182020001729