2020年12月9日掲載
東京大学総合研究博物館 特任准教授 松原 始
山階鳥研の所蔵標本の中には、さまざまの由緒あるものが含まれています。東京駅前にある丸の内JPタワー(KITTE) 内の東京大学 学術文化総合ミュージアム・インターメディアテクには、山階鳥研から寄託した標本が数多くあります。この中には明治時代に南極探検をした、白瀬矗の持ち帰った標本があります。これについて、同館の松原始さんに執筆いただきました。
2013年、筆者の勤務する学術文化総合ミュージアム・インターメディアテク(以下、IMT)が開館する際、山階鳥類研究所より貴重な本剥製(はくせい)300点あまりを寄託して頂いた。筆者はその標本の選定を担当していたが、寄託可能な候補の中に「イワトビペンギン」二体が含まれていた。一体はあまり良い造形とは思えなかったが、台座からしても古いものであるのは間違いない。敢(あ)えて、その歴史のありそうな方の標本を借りることにした。
それから数ヶ月。山階鳥研より筆者のところに標本閲覧対応の依頼があった。調査に来られた大島潤一・ひとみ夫妻は白瀬矗(しらせ・のぶ)が明治44〜45年の南極探検の際に採集したペンギン標本の行方を追っておられた。白瀬矗は日本初の南極探検隊を指揮し、世界初の南極点踏破を目指した。だがニュージーランドに到着した時には、既に一足早く、アムンゼンが南極点を踏破していた。そのため白瀬隊は目的を学術研究に切り替え、標本採集などを行ってから帰国している。そこにはペンギンの標本45体も含まれていた。
大島夫妻は、南極探検を後援していた大隈重信を通じて明治天皇に献上された一体を追跡していた。宮内庁に当たったが見当たらず、生物学御研究所(現・生物学研究所)から山階鳥研に移管された可能性に当たり、「もしかして」という標本がIMTに寄託されていると知って、辿(たど)って来られたのである。
標本をお見せすると、夫妻は目に見えて落胆された。夫妻が入手していた、白瀬隊が船上で撮影したペンギンとは似ても似つかなかったからだ。だが、念のために台座の裏を確認した瞬間である。
そこには「内廷掛印」が押されたラベルがあったのだ。宮内庁が献上品を受け付けた時の印だ。間違いなく、これは天皇に献上されたものであった。
さらに調査を進めた大島夫妻は当時の新聞に掲載された写真を発見し、その姿が現存する剥製に酷似することを確認した。捕獲されたペンギンは船上で飼われたものの死亡し、皮だけが持ち帰られている。これが仮に詰め物をした形で提示された後、本剥製になったのだろう。これらの根拠から、この「イワトビペンギン」は白瀬のペンギンと判断した。
また、調査隊員であった多田恵一の手記から、捕獲場所はニュージーランド東方とわかった。となると、分布からしてイワトビペンギンではない。この標本は山階鳥研の今村知子氏(注)によってマユダチペンギン(シュレーターペンギン)と同定し直された。実に102年ぶりに、正しい名前が判明したのである。長きにわたって標本を保管されてきた皇室と山階鳥研、そして大島夫妻の努力の成果であった。
この結果は2014年にIMTにおいて、特別展「あるペンギンの辿った歴史」として公開された。また、ペンギンは今もIMT内の収蔵展示室内にある。管理の関係上、常に見えるところにいるとは限らないが、大階段の正面、標本棚の最上段あたりを探して頂くと、その姿が見えることがあると思う。
(写真・文 まつばら・はじめ)
(編集注)今村知子さんは臨時職員として、山階鳥研の標本整理等に従事されています。