種名 | イヌワシ Aquila chrysaetos |
作者 | プリドー・ジョン・セルビイ Prideaux John Selby(1788~1867年) |
技法 | 銅版手彩色 |
サイズ | 68cm×54cm |
端から甚だ鼻摘みな話になって申し訳ないのですが、もし山階鳥研に非常事態がおきて、何か一つだけしか持ち出せないとしたら、何を持って逃げようかと思うとき、私は胸が痛みます。資料室員という立場上、また鳥類研究者の端くれとしての世間体、将又(はたまた)好事家としての本当の姿……。
世界に2つとない鳥の標本を持って逃げるのは、気高い心の持主です。賞賛されるべきだと思います。というのも、私としてはもっと金目のものを選びたいのです。次に思い浮かぶのがグールドの著作群、『ニューギニアの鳥』、『ハチドリ科図譜』など大きな美しい図版は美術的にも高く評価されています。どの巻を選ぶかは迷うところですが、手近にあるものを1冊持てばよいでしょう。でも私はグールドの本を選びません。これからお話しするセルビイの『英国鳥類学図譜』にします。
この本はどういう訳だか、あまり世に知られていません。という事はあまり高い評価を得ていないという事になりますが、私は昔からこの本が好きでした。著者のセルビイ(Prideaux John Selby 1788~1867年)は英国の博物学者で鳥だけでなく、昆虫や魚類、植物にも強い興味を持っていました。英国の伝統的なナチュラリストと言ってよいと思います。セルビイの職業は英国最北端のノーサンバーランド州の行政長官でした。地方の名士としてセルビイは多忙な日々を送っていたと思うのですが、膨大なエネルギーを費やしてこの本を出版し、彼は鳥類学にも大きな足跡を残しました。
この本のどこが凄いかというと、彼は英国の鳥を原寸大で描いた本を作ろうとしたことです。小鳥を描くのであれば、本のサイズは小さくて済みます。しかし、大形の鳥を描こうとすると、大きな図版を必要とし本も大きくなります。この本の図版のサイズはタテ68センチ×ヨコ54センチもありますが、ちなみにグールドの著作の図版はタテ56センチ×ヨコ39センチです。セルビイはこの著作を、陸鳥(Land Birds)と水鳥(Water Birds)の2冊とし、陸鳥は89図版、水鳥は129図版としました。図版が大きければそれだけ厚い紙を使用するため、本の重さは増します。測っていないので正確な重さは分かりませんが、水鳥の巻は20数キログラムの重さはあります。火事場の馬鹿力でもなければこの本を持って走るのは無理でしょう。
しかし図版をここまで大きくしたにもかかわらず、全ての鳥を原寸大で描くことは不可能でした。鳥を原寸大で描こうと試みて、ほぼ成功し世界的な名声を勝ち得た人物はオーデュボンです。彼の出版した『アメリカの鳥』(1828~1838年)はセルビイに遅れること7年で出版しはじめました。オーデュボンの図版の大きさはタテ104センチ×ヨコ75センチと桁違いの大きさになりました。本の大きさが両者の評価の差に反映しているように思います。セルビイがもう少し頑張れたら大きな図版を作ることができたのか、あるいは当時の技術の限界がこれであったのかは、私は知りません。両者の図版の内容を比べてみると、セルビイの図版はそれ以前からずっと続いてきた、鳥を主体として描いてきた伝統的な構図であるのに比べ、オーデュボンの図版は鳥だけでなく背景も描くという点で、それ以後の作者の図版構成に影響を与えているのは確かです。
いま、私はここでセルビイの肩を持つばかりに、オーデュボンの評価を低めようとしているのではありませんが、両者とも原画を銅板あるいは鉄板に刻印して版画を作り、そこに手彩色を施したものです。オーデュボンの『アメリカの鳥』の原画が近年出版されており、この絵を見ると私の好みに合わないしまりのない絵がいくつもあります。しかしその絵の版画を見ると素晴らしい出来になっているのです。ここで私はいつも考えてしまうのですが、オーデュボンの高い名声の半分は版画の彫り師に与えるべきだと思うのです。
一方セルビイは、図版のほとんど全てを自分で銅板に彫りました。この態度は芸術家として立派だと思います。また英国の鳥を原寸大で描こうとして、それまでになかった巨大な本を作ったことを、私は高く評価したいと思います。
でも一つだけ白状しますと、もし山階鳥研にオーデュボンの本があったとすれば、私はやっぱりオーデュボンを担いで逃げます。(資料室長 柿澤亮三=かきざわ・りょうぞう)
山階鳥研NEWS 2002年6月1日号(NO.159)より