所蔵名品から

第19回 日本最後の「新種」
-ヤンバルクイナ(ツル目クイナ科)-

種名 ヤンバルクイナ Gallirallus okinawae*
性別 メス
番号 YIO-00084(810141)**
拾得日 1981年6月2日
採集地 沖縄県国頭郡フェンチジ岳附近の林道

*当初記載されたときの学名はRallus okinawaeでしたが、その後の研究でGallirallus属とされました。

**新種の記載論文では810141が使われていますが、その後、標本のデータベース化に伴いYIO-00084という番号が付けられました。

ヤンバルクイナが見つかってから28年が経ちましたが、この四半世紀に日本の鳥については多くの発見がありました。少し年代がずれますが、日本鳥学会のとりまとめている「日本鳥類目録」の第5版(1974年)と第6版(2000年)を比べると、日本産鳥類の種類数は490種から542種と52種類も増えています。その多くは本来の生息地から外れて日本に迷行して記録されたか、これまで識別が困難だった種類が観察機器や識別知識の向上によって確認できるようになったものです。すなわち、日本での確認は初めてですが、新しい種類としての発見があったわけではありません、・・・ヤンバルクイナを除いては。

発見と種の記載

鳥類標識調査のため沖縄を訪れていた山階鳥類研究所の研究員は、1978年から3年続けて、種不明のクイナ類を観察しましたが、いずれも一瞬の出来事で、詳しい特徴は判りませんでした。そこで1981年、山階鳥類研究所はこの不明種を確認するために捕獲調査を実施し、 6月28日に1羽の幼鳥、7月4日には成鳥1羽の捕獲に成功しました。この2羽は詳細に観察し、測定、写真記録などとったのちに足環を付けて放鳥されました。

これら捕獲の直前、地元の高校教諭で鳥類標識調査に協力頂いている友利哲夫氏のところに、国頭村の山中で6月2日に拾得された鳥の死体が届き、標本となっていました。この標本と上記の捕獲記録から、山階芳麿所長(当時)と所員・真野徹の共著で、1981年12月山階鳥類研究所研究報告に記載論文が掲載され、正式にヤンバルクイナが誕生することになりました。このために、山階所長と親交のあった、クイナ類分類の権威であるスミソニアン研究所のS・D・リプレイ博士に写真を送るなどして、意見を求めました。そしてこの標本(No.810141)を模式標本、標識放鳥の2個体を副模式標本としました。ここでいう模式標本とは完模式標本(ホロタイプ標本)のことです。その種類を定義するための記載の拠り所となったもので、分類の客観性や再現性を保証する重要な標本です。

日本最後の「新種」

日本に生息する鳥の新種は、1887年のノグチゲラ(やはり沖縄島北部)以来でほぼ100年ぶりでした。保管されていた標本からの新種記載はミヤコショウビンの1919年、クロウミツバメの1922年があります。分類研究が進んだ鳥類の新種発見の多くは、このような博物館のコレクションの中や人口の少ない地域から見つかっています。したがって今後日本では分類の見直しによる「新種」を除いて、ヤンバルクイナのような新種が発見される可能性は低いのではと考えられます。

「ヤンバルクイナ」という和名については、捕獲調査チームはすでに現地で候補にあげていました。「やんばる(山原)」とはこの種の生息地である沖縄島北部を指す言葉です。ところが研究所内では「ローカルすぎるのでオキナワクイナが適当」との意見もありました。その時、捕獲調査チームの意向と、「鳥の保護には地元が大切で、やんばるのほうがより具体的」と吉井正・前標識研究室長が力説したことによってヤンバルクイナに決まったといういきさつがあります。

発見の前と後

新種発表の後になってから、この鳥が山仕事をする人達の間では身近な存在であり、「アガチ」(せかせか走り回るの意)などの名称がついていたり、1975年には樹上にいる成鳥が写真撮影されていたことも判りました。さらに野鳥の声の録音で有名な蒲谷鶴彦氏は、発見の17年も前の1964年に沖縄島の国頭村西銘岳でこの鳥の声を録音し、「なぞの鳥」として保管していました。山階鳥類研究所の黒田長久前所長は、やはり西銘岳で1969年に本種と思われる声を聞き、記録に留めていました。

ヤンバルクイナは飛べないクイナ類としては最も北に分布していて、日本産鳥類では唯一飛べない鳥です。沖縄島では約18,500年前の地層から、クイナ類の化石が発見されています。これはヤンバルクイナより脚が短く、飛べた可能性があります。一方、フィリピンからインドネシアに分布し、ヤンバルクイナと最も近縁とされるムナオビクイナは飛翔力があります。おそらく何万年も前に南方から飛来したクイナ類が、沖縄島に捕食者となる動物がいなかったことで、しだいに飛ぶことを止め代わりに走り回ることに適応し、現在のヤンバルクイナとなったものと考えられます。

ところが1990年代になって、分布の南限地域でヤンバルクイナが確認できなくなっていることが判明しました。その後の研究で、減少の主原因がマングースによる捕食であることが分りました。マングースは約100年前に、ハブやネズミのコントロールのために放獣されたものが、次第に分布域を広げて、北部のやんばる地域に侵入してきたのです。

現在沖縄ではマングースの駆除やヤンバルクイナの人工増殖事業が進められています。日本でもっとも新しい新種が絶滅することのないよう、効果的で早急な保全策が求められています。(保全研究室長 尾崎清明)

山階鳥研NEWS2009年 11月1日号(NO.226)

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