2021年6月9日掲載
(有)バード・フォト・アーカイブス 塚本洋三
2018年と2020年に、おもに山階鳥研が所蔵する資料を用いて、野鳥生態写真家下村兼史の写真展が都内で開催されました。この写真展に至るひとつのきっかけを作ったのが、周はじめという、ご自身も野鳥生態写真家として知られた方でした。氏の示唆を受けて、山階鳥研で下村兼史資料の整理保存と写真展開催に尽力された塚本洋三さんに、周はじめ氏について書いていただきました。
周元(本名(注))は、愛媛県今治市で1930年に生まれた。法律家を志した周であったが、周の前半生を方向づけたのは、同年に刊行された『鳥類生態写真集』の二人の著者、鳥類学者 内田清之助と日本の野鳥生態写真の草分け下村兼史(けんじ)の存在である。中央大学時代に両氏と巡り会い、文学として野鳥や自然を表現することとカメラで野鳥を記録することについて、それぞれ二人から感化された。
大学卒業後の1953年 周は、知人を頼って最果ての地、北海道根室原野に移り住んだ。ランプの下で日々を送る開拓地の牧場で、野鳥や原野の四季、原野で暮らす人々の生活をカメラと文章で記録し続けた。足かけ3年を過ごしたのである。
1955年に帰京後1971年までの間に、根室原野での体験をもとに写真と文章による一連の著書を刊行した。ペンネームを「周はじめ」とした。
処女作『カラスの四季』(1956年 法政大学出版局)では、四季のカラスを写真で物語るというユニークな発想が予想外の評判となった。野鳥をカメラに捉えるのが至難であった時代だっただけに、写真の質はともあれ、同じ種の生態を年間とおしてカメラで追った前例のない記録写真が、内田によって学術資料としても評価された。
1960年刊行の写真集『鳥と森と草原』以降は、写真より文筆に力点が置かれた。鋭い観察眼と豊かな感性で綴られる端麗な筆致は、読む者を魅了する。『牧場の四季』でシマフクロウを扱った章は、動物文学の藤原英司(えいじ)に絶賛された。『原野の四季』は、国語の教科書に採用された。評価のほどが窺(うかが)えよう。
『草の中の伝説』は、開発が進む根室原野への惜別の書ともとれる大作。本書では、根室時代に周が写真で迫ることが叶わずに悩んでいた原野の風土や生命の描写が、大判の写真に遺憾なく表現されている。
その後、周は「周はじめ」と決別し、本名を「𠮷田元」と改名した。晩年、筆者は、𠮷田が気がかりにしていた話を直接聞いたことがある。それは、世に二つとない山階鳥類研究所所蔵の下村兼史写真資料を、整理保存すること。筆者には遺言ともとれた𠮷田の熱い思いを、代わって当時の山岸哲(さとし)所長に直訴したところ、2005-2008年度に整理保存事業が実現した。成果は、2018 年、同研究所主催の「―下村兼史生誕115周年―100 年前にカワセミを撮った男・写真展」開催に繋がった。
𠮷田の人生後半の業績は、周はじめを知る鳥の関係者には恐らく認知されていない。実は、映像作家としてさらなる本領が発揮されたのである。
脚本・演出を手がけたドキュメンタリー映画『白い風土』は、知る人ぞ知る。1970 年代から時事画報社のアートディレクターだった25年余の間に、秋山忠右(ただすけ)、水越武など著名な写真家と親交を深め、また政府公式の『昭和天皇大喪の礼写真集』監修の大役を全うした。
2005年4月に没した後に、写真集『神々の残映』と『北回帰線の北』(共に2006年、冬青社)とが出版された。収録された作品には人物や風景の心までもが表現され、芸術性が宿る。根室時代の単に記録的な野鳥生態写真を凌駕(りょうが)したその写真表現が写真界で高く評価され、作品展などで紹介された。
周はじめと𠮷田元とが残した生涯の作品が折々に人の心の琴線にふれ、それを知る人々に末永く記憶されるであろうことは疑いない。(敬称略)
(文 つかもと・ようぞう)
(写真提供:すべて𠮷田幸子/ BPA)
(注)周元は、ペンネームで「はじめ」とするも、親族間では「げん」とも呼ばれており、本名の読みは定かではない。