読み物コーナー

2016年12月2日掲載

2015年7月に就任した奥野卓司・副所長による、鳥の文化誌と、山階鳥研の所蔵資料のもつ可能性ついての考察を掲載いたします。

山階鳥研NEWS 2016年11月号より)

「鳥の文化誌」への模索

山階鳥類研究所理事・副所長 関西学院大学教授
奥野 卓司

人は鳥にあこがれる。鳥が、人間にできない飛翔という能力をもっているためだろう。ペルーの民族音楽をアメリカでカバーした『コンドルは飛んで行く』、中国の二胡の名曲『燕になりたい』、Jポップの『翼をください』など、古今東西、鳥の飛翔への人間の憧れを表象する歌には限りがない。

一方、鳥を恐れる文化も、人類に共通してある。その表象の一つとして、もっともよく知られているのが、ヒッチコックの映画『鳥』だ。こうした鳥への憧れと恐れは、おそらく人間の生得的な感情の両面だろう。

2次元の動物だった齧歯(げっし)類に似た動物が、樹上に上って我々の原初的な先祖になったとき、彼は地上の大半の動物の食物連鎖の輪から脱出した。動物の中で霊長類と鳥類は3次元の世界を持つ点で特異な存在だ。樹上には食糧(果実)はあり、安全なので、二度と地上に下りる必然性はない。そうなっても、鳥類、とくに猛禽類だけは3次元の移動が自由なので、サルの子供が襲われる危険はあった。つまり、ヒトの祖先を含む霊長類にとって、鳥は主要な天敵だった。

だが、霊長類のなかでヒトだけは、木から下りて、わざわざ危険な2次元の世界に戻った。ぼくが専攻してきた文化人類学の領域では、これをヒト科の「進化」という。しかし、生態学的にみれば、むしろ「退化」ではないのか。2次元の世界に戻ってろくなことはない。直立二足歩行をし他の動物を狩猟したといえば勇ましくきこえるが、乾燥期に入ったアフリカ大陸で、肉食動物から逃げつつ、果実を拾って、群れで草食動物の肉にありついていたというのが実態だ。そうなっても、人間が、遺伝子の記憶として、もっとも恐れていたのは3次元の動物、鳥類だった。

かくて、文化をもった人間は、その憧れと恐れを感じ続けた鳥を真似て、飛ぼうとする。レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、平賀源内しかり。ともに科学者だが、芸術家(源内は、日本で初めて「西洋画」を描き、『解体新書』の挿絵画家として小田野直武(おだの・なおたけ)を紹介した)でもあり、やや奇妙な人物でもあった。

こうした人間の鳥への根源的な欲求が、各地域、各民族の異なった文化の中で、多彩な「鳥文化」を生んでいく。たとえば日本では、中国から伝搬した「鶴と松」という組み合わせは、絵画の正統派であった狩野派から、伊藤若冲(じゃくちゅう)へ。また若冲が影響を受けたと言われる「鶴亭(かくてい)」とその弟子たちに展開されていく。江戸時代には、謡曲でも舞踊でも「鶴と松」が人気になる。しかし、鳥類学者には、若冲の名画さえ奇妙に見えるだろう。ツルが松の枝に掴まれるわけはない。あれはコウノトリを見誤ったものだろうということになる。が、そう単純に割り切っていいのだろうか。

日本の鳥文化を語るには、こうした「花鳥風月」の野鳥とともに、飼い鳥の文化、また家畜としての鶏の文化を考えないわけにはいかない。山階鳥研の所蔵図書では、高野鷹蔵(たかの・たかぞう)博士の「カナリア」に関する多数の書物から、今後、近世からの飼い鳥に関する貴重な事実が浮かび上がってくることが期待できる。11万点を越える我々の標本、史料、絵図、図書からえられる文化的な知見は計り知れず、ここに長年蓄積されてきた生物学的研究の成果を重ね合わせると、まだ解読されていないさまざまな鳥の物語が浮上してくるに違いない。

(おくの・たくじ)


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