写真は、1959年5月に、トキの生息地である能登半島に視察に出向いた際の写真です。すでに戦後から極めて少なくなっていたトキはこの頃さらに急減しており、佐渡と能登半島をあわせて10羽あまりまでに減少していました。この時は、山階芳麿は日本野鳥の会会長の中西悟堂と石川県を訪れ、地元の鳥類保護関係者の同行をえて、輪島市洲衛と羽咋市眉丈山の2カ所の生息地を視察しています。そして実際の視察の結果と現地関係者からの聞き取りを踏まえて、伐採の見合わせや一部の水田や用水池を農業生産から切り離してトキのために取り分けること、新聞社が取材のために生息地に入ることを控えること等極めて具体的な保護施策への協力依頼をしました(中西悟堂, 1960「野鳥」25巻1号(通巻199号), pp. 37-53)。
山階博士は、合衆国代表団が日本を知っているよりも遥かに合衆国のことをご存知で、いくつかの言い回しが、合衆国では完全に無害なものであっても、日本では困惑を招きうることがあること、そのゆえに、我々は同じことを言うために、本質的に同じだが、どんぴしゃりではない、別の言葉を使う必要があることを、辛抱強く説明されました。」(Clement, R. C., 1978. Remarks on presenting the Delacour Medal to Dr. Yoshimaro Yamashina (At Madison, Wisc., 19 Aug. 1977.). Journal of Yamashina Inst. Ornithol. 10(1,2): 18-19.)