2017年11月16日更新
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2012年9月23日(日)に行われた「第17回山階芳麿賞受賞記念講演」及び、「財団設立70周年記念シンポジウム」の講演要旨です。贈呈式とシンポジウムの模様は こちらのページをご覧ください。
小澤俊樹氏(日本イヌワシ研究会会長)
研究会発足の話をする際、当会永久名誉会員の重田芳夫さんの名前をなくしては語れない。重田さんは兵庫県で海運会社を営まれていた方で、1963年に中国山地で初めてイヌワシを目撃して以来、その後の人生全てをイヌワシの生態研究にかけた方である。同時にイヌワシに関心を持つ研究者のネットワークを構築し、各地から寄せられた観察情報をその信頼できる仲間たちと共有し合った。残念ながら重田さんは1978年に61才で他界されてしまったが、その重田さんの想いや志を受け継いだ、各地のイヌワシ研究者がイヌワシを識別できる30名の観察者を全国から集め、「イヌワシの活動する朝から夕方まで100%目撃追跡すること」を目標に、1980年4月滋賀県の鈴鹿山脈に集まった。これが全国初のイヌワシ合同調査である。この合同調査は、高い観察レベルを持った調査者を広大なイヌワシの行動圏内に配置し、無線によるリアルタイムでの情報交換でイヌワシの行動を追跡するという世界でも初めての試みであり、予想を超える成果が得られた。
その後2回の合同調査を経て「日本のイヌワシの生息数と生態を明らかにするには各府県単位では限界がある。状況は年々悪化しており、早急に科学的データに基づく保護対策を構築しなければならない。それにはイヌワシ専門の調査・研究を行う全国組織をつくり、イヌワシ研究に携わる者が情報交換を行い、日本全体の生息実態を解明する必要がある。」との意見のもと、1981年5月3日、奈良での合同調査期間中に規約を制定し、参加者全員一致で「日本イヌワシ研究会」は発足した。
研究会の活動は、生息が不明な地域や調査者が不足している地区を中心に行う「合同調査」、全国の生息数と繁殖状況を明らかにする「全国イヌワシ生息数・繁殖状況調査」、調査・研究の成果を発表する機関誌「Aquila Chrysaetos」の発行を基本事業としている。さらに、会員同士の情報交換・勉強会の場としてのシンポジウムの開催など、研究会発足以前からイヌワシに携わってきた先輩会員の志と共に、30年間に渡って継続して行われてきている。
こういった高い志は、日々の会員の調査や啓発活動にも受け継がれ、イヌワシとその生息地の保全活動のぶれない原動力となっている。
30年間に渡ってイヌワシという単一種を調査・研究し続けてきた日本イヌワシ研究会では、全国に生息するほとんどのイヌワシの生息場所とその状況をモニタリングしてきている。イヌワシは全国に150〜200ペア約500羽が生息している。その数は年々減少しており、国内でも有数の生息数を誇っていた石川県や富山県では、20~30年前の1/4程度までに激減している。また、研究会発足当初の1980年頃は50%を超えていた繁殖成功率も、近年では20%前後にまで落ち込んでいる。しかもこの間、消滅してしまったペアが全国で70ペア以上いることを考えると、この数字はより深刻な事態として捉えなければならない。こういった現在の危機的な状況が把握されているのも、30年間継続してきた調査・研究があったからに他ならない。
イヌワシのペア消滅や繁殖成功率の低下は、多くが餌不足によるものだと各地の会員より報告されている。イヌワシの主な餌動物はノウサギやヤマドリ、それにヘビなどが挙げられるが、それ以外にも多様な動物種を餌資源とする。従って、一様なスギ・ヒノキなどの人工林が多くを占めるような環境では、イヌワシが生息することは困難であり、自然界に起きる様々な年変動にも対応できる多様な環境が必要とされる。
イヌワシの生息に必要となる多様な環境は、生物の宝庫である原生林だけでなく、日本人の生活に根ざしてきた薪炭林などの二次林や人工造林にも見ることができる。しかし、昔から連綿と続く森林の利用形態も、戦後の急激な燃料革命や安い外国材の輸入などにより一変した。現在、国内の多くの人工造林は手入れされることなく放置され、その暗くうっぺいした林内は、イヌワシの餌動物にとっても餌資源が乏しいため棲みづらく、同時に狭い空間での狩りを得意としないイヌワシにとっても、狩場としての利用価値が低いと言わざるを得ない。
世界的に見れば、イヌワシは開けた空間を好む草原性のワシである。しかし、国土の7割を森林が占めるこの日本に生息するニホンイヌワシは、森林を継続利用してきた我々日本人の生活と共にその変化にわずかながらも適応し、生き抜いてきた希少な亜種である。この森林国に生息する世界的に見ても貴重なニホンイヌワシと、その多様性に富んだ質の高い環境を後世に遺すためにも、我々日本人がもう一度、森林資源の有用性を探り、そして利活用について考える必要があるのではないだろうか。
山階鳥研は2012年で財団設立70周年を迎えます。これを記念し、記念シンポジウム「鳥の魅力を追う人びと」を山階芳麿賞授賞式・記念講演と同時開催することとなりました。4人のパネラーによるシンポジウムの講演要旨をご紹介します。当日のシンポジウムにも是非ご参加ください。申込方法など詳細はイベント情報ページでご確認ください。
林 良博(山階鳥類研究所所長)
設立70周年を記念した(公財)山階鳥類研究所(以下、本研究所)のシンポジウムは、何を目的として開催されるのであろうか。
一義的には、鳥類をはじめとする多様な動物にかかわる科学のさらなる進展を期すために、本研究所の内外から貴重なご示唆を頂くことを目的にしている。本研究所は、本年4月の公益財団法人への移行に先立って、研究部門を自然誌研究室と保全研究室に統合・改組した。この改組は、平成19~20年の4回にわたって開催された将来構想委員会において示された将来構想に基づくものであり、本研究所の基本目標、すなわち①国内最大の鳥類標本コレクション(剥製、骨格、巣、卵、液浸等標本約69,000点)を整理活用し、物理・化学・生物・地学的手法を駆使して、鳥類学の新分野を創設すること、また②標識資料や新たに収集する生態的情報を整理活用し、鳥類の保全、ひいては地球環境の保全に資すること、を達成するためである。
このような基本目標を達成するために、どのような研究がおこなわれ、また計画されているのか。今回のシンポジウムでは、自然誌研究室から山崎剛史研究員が、また保全研究室から出口智広研究員がその一端をお示しする予定である。彼らは、鳥に魅せられた人間がおこなう研究とは何かを興味深く発表してくれるであろう。また本研究所の特任研究員で東京大学総合研究博物館の遠藤秀紀教授と総合地球環境学研究所の秋道智彌名誉教授は、生き物としての鳥の面白さに加え、歴史的に形成されてきた鳥と人の多様なかかわりを総合的に明らかにする「鳥(とり)学」の重要性を示唆してくれるに違いない。
人と多様なかかわりを明らかにするには、野鳥だけでなく、家禽も当然ながら研究対象となるであろう。また人間の営みによって野鳥の生息環境が大きく変化している現在、文化人類学など生物学以外の視点からの研究との共同研究の重要性が増している。
秋道智彌(総合地球環境学研究所名誉教授)
鳥と人とのさまざまなかかわりについて考えてみたい。そのため、1. 人が鳥をどのように認知し、2. どのように図像や文字を通じて表現し、さらには3. 食料、道具、娯楽などとしてどのように利用してきたのかにわけ、事例を元に考えてみることにしよう。
1. 人による鳥の認知を探るうえで、鳥の民俗分類の研究が有効な方法である。民俗鳥類学(Folk-ornithology)では、ニューギニアのカラム人の研究をおこなったR.N.H. Bulmerがよく知られている。とくに、ヒクイドリにたいしてカラムの人びとが半分人間としてのヒクイドリについて人びとの世界観を提示した。
2. イースター島では、かつて鳥人儀礼がおこなわれていた。イースター島の離れ島で営巣するクロアジサシの卵を島に持ち帰ったものが「鳥人」の称号を得るとする儀礼があった。そのことを示す浮き彫り(レリーフ)や岩絵が数多く残されており、鳥と人間の姿・形をあわせもつ存在はタンガタ・マヌ(tangata manu)とよばれた。鳥人の表象はイースター島以外の地域でも広く知られている。その図像は造形として両義的な存在をあらわすさいの共通した技法の特徴を示しているとおもわれる。
日本の俳句では、さまざまな種類の鳥が詠まれている。春夏秋冬の区別がある日本では、とくに夏に鳥の季語が多い。文字表現のなかで、鳥を季語とすることで季節認識の手がかりとしてきた日本文化の在り方を考えてみたい。
3. 人間は鳥にたいして、食料、道具、娯楽の対象(闘鶏、鳴き合わせ)、ペット、鳥占いなど具体的なかかわりを育んできた。鳥猟や矢羽根、鷹狩りと鷹匠などについてはいくつもの研究が蓄積されているが、ニワトリを対象とした闘鶏や鳥占いについてそれほど多くの研究があるわけではない。ここでは、中国雲南省や東南アジアにおける闘鶏と鳥占いにかかわる人びとの民俗知や文化的な慣行について取り上げる。
以上の論考を通じて、地域ごと、さらには歴史的に形成されてきた鳥と人の多様なかかわりを総合的に明らかにする「鳥(とり)学」が求められている。とくに、森林や干潟など、野生鳥類の生息場が急速に減少する中で、鳥類そのものだけでなく、環境の変化、鳥にまつわる文化的な慣行に対するまなざしを継承していくことが今後ますます求められている。
出口智広(山階鳥類研究所保全研究室研究員)
鳥類標識調査とは、捕獲した鳥に連番の数字や文字が刻印された金属製の足環を装着するなど、標識による個体識別を目的とする調査手法である。日本における標識調査は1924年に農商務省によって開始された。第二次世界大戦にともない、この調査は一時中断されたが、1961年から林野庁、米軍移動動物病理学調査所の支援により再開され、1972年以降は環境庁(省)の委託事業として現在まで実施されている。山階鳥類研究所は、1961年以降の標識調査の実施主体であり、これまでに集められた種名、性別、年齢、足環番号、日付、場所などを示す標識個体情報計500万件以上を一元的に管理している。
開始当初の標識調査は、再捕獲による標識個体の移動分散の解明を主な目的としていた。そのため、国内各地や近隣諸国での調査および協力調査員の養成が積極的に行われ、これらを通じて多くの種の移動分散経路が明らかとなり、その成果は鳥類アトラス(山階鳥類研究所 2002)にまとめられている。一方、近年は、多岐にわたる生物学的情報の収集が目的となっており、最近では局所スケールだけでなく全国スケールにおける鳥類の個体数や渡り時期の変化などが報告されるようになった(米田・上木 2002, 三上・森元 2011, 中田ら 2011, 出口ら 印刷中)。また、近年は発信器を標識として利用することにより、ツルやアホウドリのような大型鳥類について、再捕獲無しに詳細な居場所を特定できるようになった(Ozaki 1991, Suryan et al. 2006)。このように、多くの可能性を内包する標識調査情報には、昨今の急速な自然環境の消失にともない、保全生物学的研究への活用が求められている。
保全生物学とは生物多様性の保全に取り組む学問であり、生物多様性は種、遺伝子、生態系の大きく3つのレベルに分けられる。種の多様性の保全では、絶滅危惧種の保全が主要な活動となり、そのためには、まず個体数変化の現状を把握し、生活史ステージのどこに個体数の増加を低減させる部分があるのかを知る必要がある。繁殖期に一定の捕獲努力量で行う標識調査は、これに応える一つの方法であり、生存率、繁殖成功率、移出入率の推定が可能となる。遺伝的多様性の保全では、種内に遺伝的に異なる集団を含む構造、すなわち種内の個体群構造を把握し、それぞれを個別に保全することが要求される。これについては、各地で行われる標識調査と合わせて、遺伝子試料の収集解析を行うことで、局所個体群の特定および保全への貢献が可能となる。最後に、生態系の多様性の保全であるが、生態系とは生物間相互作用の集合体であり、その一つ一つを明らかにすることは大変な労力を必要とする。そのため、重要な生息場所を特定し、保全することが現実的な活動となる。その有効な手段の一つに、複数種に詳細かつ高頻度に情報が得られる発信器を装着する方法があり、利用頻度の集中する場所を特定できれば、適切な保護区の設定に役立つ情報となる。
いずれの保全生物学的研究においても、これからの標識調査に求められることは、現場での調査技術だけでなく、得られたデータの中から適切な情報を抽出し、その成果を速やかに公表する能力である。山階鳥類研究所は、これまで対応の遅れてきた後者について、今後真摯に取り組む必要がある。
山崎剛史(山階鳥類研究所自然誌研究室研究員)
鳥類は羽毛でできた翼を使って空を飛ぶ。羽毛はケラチンでできたきわめて軽量な素材だが、ふつう中心に幹となる太い羽軸が通っており、飛翔中の負荷に難なく耐えられるほどの強度を持つ。羽毛は鳥類の特徴の最たるもので、現生の生物について見た場合、羽毛の生えている生き物がいればそれは必ず鳥であるし、逆に鳥ならば必ず羽毛を備える。
鳥類がその祖先にあたる中生代の羽毛恐竜から受け継いだこの優れた構造物は、彼らに飛翔力を与えただけにとどまらない。羽毛は色彩の多様性にきわめて富むという特徴も備えているのである。昼行性の種が大半を占める現生鳥類は、この美しい素材を使って自身の身体を飾り立てた。陸上生活に高度に適応した脊椎動物の3群ー爬虫類・鳥類・哺乳類ーの中で、鳥類はずば抜けてカラフルだ。青、赤、緑、金属光沢……哺乳類ではこのような色をした動物がなかなか思い浮かばないが、鳥類では簡単に例を挙げることができる(例えば日本の鳥ならオオルリ、コマドリ、アオバト、キジ)。
伝統的に鳥類学者には羽毛の色彩に魅せられた人物が多かったせいか、慣習上、鳥類の学術研究用標本は、羽色を生前の姿のままに保存するのに適した剥製のかたちで遺すのがスタンダードとされてきた。山階鳥類研究所がその前身にあたる山階家標本館の時代から80年の歳月をかけて築き上げてきた日本最大の鳥類標本コレクションもやはりその例にもれず、所蔵品の大半、8割以上を剥製標本が占める。ほかの形式の資料―骨格標本や液浸標本など―はあるとしてもごくわずかだ。鳥類の色彩の多様性はいったいどのようにして進化してきたのか。色彩の観察に適した鳥類標本による学術研究の王道の一つは色彩の進化生物学だろう—研究所の標本コレクションの管理者を務める私は常々そのように考えている。
今回の講演では、現在、私が多数の共同研究者とともに研究所の標本コレクションを活用して進めている色彩進化の研究事例を紹介することを通して、鳥類の色彩の科学が持つ魅力を聴衆の皆様にお伝えしたい。
遠藤秀紀(山階鳥類研究所特任研究員・東京大学総合研究博物館教授)
うるさいことを言わなければ、空を飛ぶ動物は意外に多い。虫の惑星といわれるほど地球には多くの昆虫が生きていて、彼らはれっきとした空の住人である。1000種類は数えられそうなコウモリは、恐竜時代が終わってから空で幅を利かせる私たちの親戚。大昔の巨大な翼竜は、巧みに作られた空飛ぶ爬虫類。肋骨を広げて飛ぶトカゲやヘビ、脇腹を引き伸ばして樹上から身投げするムササビも、結構宙を漂っていられる。だが、鳥だけは別格だ。完成された飛翔美を見せてくれるのは、後にも先にも鳥しかいない。
そもそも鳥ほどの大きさの動物が空に浮くというのは、かなり難しい所作なはずだ。コウモリも翼竜もそのために体中の構造を余すところなく動員して、やっと動く翼を備えることに成功した。コウモリは掌に指に後肢に尾を使い、翼竜は巨大な薬指を作ってまで、飛行の要求に応じた。だが、鳥はといえば、それほどの大事業をたかだか何十枚かの風切羽でやってのける。揚力を生み出すという至極責任の重い案件を、皮膚の付属品といっていい程度の、ケラチンの羽毛に預けてしまったのである。
もちろん羽毛以前に、翼に化けた前肢を上下させるために、巨大な胸骨の稜と体重の20%を超えるかという胸筋を発達させている。体の随所を軽量化したり、胴体や前肢に複雑な関節や筋肉を携えてこそ、鳥は空を飛ぶ。だが、羽毛なる発明品のお蔭で、全身のパーツのすべてを投入しなくても、飛べてしまったのである。
地上や水中で自在に使える後肢をぶらさげて、多様な歩行や泳ぎを実現できる。複雑な動きのできる頭と頸で、いろいろな餌を栄養源にすることができる。大きめの脳を備えて、多彩な生き方を実現できる・・・。つまり、飛翔できる動物の中では、とりわけバリエーションに富んだ生活をおくっているのが、鳥なのである。
鳥が見せるこうした設計の余裕から、私たちは鳥を空飛ぶ機能の集合体と見なし、そこに飛翔美を感じてきた。古今東西を問わず、鳥が敬愛すべき美の存在として受け止められてきた背景には、多彩な機能を鮮やかなまでに形に置き換えていく、鳥ゆえの体の歴史が凝縮されているといえるだろう。