2020年10月4日(土)オンライン開催
【主催】(公財)山階鳥類研究所 【共催】朝日新聞社 【後援】我孫子市
2021年2月18日掲載
2020年10月4日(土)に開催した、第21回山階芳麿賞記念講演会「絵を見るハト、音楽を聴くブンチョウ」の概略を報告します。当日は、受賞者の、渡辺茂 慶應義塾大学名誉教授の講演を軸に、岡ノ谷一夫 東京大学教授・理化学研究所チームリーダーからコメンタリーをいただき、さらに質疑応答をおこないました。鳥類の頭脳の驚くべき能力、ヒトとどこが同じでどこが違うのかについて学び、考える機会となりました。講演にはZoomを使い、YouTubeでリアルタイム配信しました(2020年11月号も参照)。
慶應義塾大学名誉教授 渡辺 茂
このたび受賞に際しまして、さまざまな方にお骨折りをいただき心より感謝申し上げます。
鳥の行動の研究というと、動物行動学の鳥類行動の研究が思い浮かぶと思います。1973年に、鳥の行動を研究したN・ティンバーゲン、K・ローレンツと、ハチの研究をされたK・フォン・フリッシュのお三方が、動物行動学を確立したということでノーベル医学生理学賞を受賞されました。この他に鳥の行動の研究で忘れられないのは、W・ソープによる鳥の歌の研究、そして小西正一先生のフクロウの聴覚の遅延回路の研究です。小西先生は2014年に山階芳麿賞を受賞されました。
こういう研究の流れとは別に、実験心理学におけるハトの行動の研究がありました。これはハーバード大学にいたB・スキナー先生が開始されたもので、彼はスキナー箱と呼ばれる実験装置を作りました。小さな箱にハトがつつくことのできる小さな丸窓が備えてあり、そこにスイッチがついていて、つつくと自動的に餌が出るというものです。このような方法でハトに随分複雑な行動を教えることができます。
もうひとつのスキナーさんの発明は累積記録器です。これはペン書きレコーダーで、用紙に、時間の流れとともに、鳥がつついたか、何もしなかったかが記録されます。毎回、つつくたびに餌をやるのか、10回つつけば、1回餌がもらえるのか、それを強化のスケジュールと言いますが、それによって出てくるレコーダーの軌跡が変わってきます。面白いことに、累積記録のパターンは、動物の種を選ばず、全く同じようなパターンが出てきます。こういうことからハトをモデル動物として一般理論が構築できるだろうとスキナーさんは考えました。
そして先程のスキナー箱で、ハトの入った箱の丸窓に赤と緑のランプがついていて、緑をつつけば餌、赤をつつけば餌はもらえないとしますと、緑はつつくけれども、赤はつつかないようになる。つまり弁別ができます。スキナー先生は、すべての行動は、先ほどの餌の出し方つまり強化スケジュールと、弁別刺激で説明ができるという主張をしました。
さて、1952年にハーバード大学から1台のスキナー箱が慶應義塾大学に運ばれました。それがわが国におけるハトのスキナー箱の研究の始まりです。
それでは、まず鳥の見た世界という話をします。
スキナー箱の中にスクリーンを設置して、星空を投影して、これをつつけば餌が出る、同じ明るさだけれども、星がない空では、つついても餌がもらえないということをすると、ハトは星空の時だけつつくことを覚えます。その後で、星の数が増えたり、星の明るさを変えたりすると、訓練された星空で一番反応するけれども、それから離れると少し反応が減ってきます。これを般化勾配(はんかこうばい)と呼びますが、そういうデータを得ることができます。
図形のパターンの区別もできます。左右対称の図形と左右対称でない図形を見せて、対称図形が出たときにつつけば餌がもらえ、非対称図形のときはもらえないという訓練をすれば、初めて見る図形でもそれが対称のものかという区別がわかります。
スキナーさんの後任の教授になったR・ハーンスタインさんは人が写っているたくさんの写真と写っていない写真の区別の訓練をして、ハトが初めて見る写真でも、人が写っているかいないかを区別するように訓練しました。
私はこの研究に大変強い感銘を受けて、そういうことがわかるなら、絵画の作風の弁別をハトにやってもらおうと思いました。ハトは8羽使いました。10枚のモネの絵、10枚のピカソの絵を使って、1群のハトには、モネの絵が見えたときにつつけば餌がもらえ、ピカソではもらえない、残りはピカソでつつくと餌が出て、モネでは出ないという訓練をします。これをするとちゃんと反応が分かれてきて、区別ができたということになります。
しかし、ハトは、ピカソとモネを区別できても、モネの絵はみんな同じに、ピカソの絵もみんな同じに見えるのではないかという心配がありました。それで10枚のモネと10枚のピカソをごちゃごちゃに混ぜて、どちらにもモネとピカソの入っている2つの絵のグループを作って弁別させました。それでもちゃんと弁別ができるので、個々の絵画を区別することができる。しかし、ピカソでまとめろ、モネでまとめろと言われれば、それもできるということになります。
このような弁別ができた後で、訓練で使ったモネ、初見のモネ、セザンヌ、ルノアール、ドラクロワ、ブラック、マティス、新しいピカソ、訓練で使ったピカソと、こういうものを次々と見せて、どのように反応するかを見ました。すると、モネでつつけば餌がもらえるという訓練を受けたハトは、訓練のときに使ったモネはもちろん、新しいモネ、さらにセザンヌ、ルノアールでも反応します。そして訓練のときのピカソにも、新しいピカソとかブラック、マティスにも反応しません。逆にピカソでつつけという訓練を受けたハトは、訓練を受けたピカソだけではなくて、新しいピカソ、あるいはブラック、マティスなどにも反応する、つまりハトは印象派とキュビストの区別をしていると考えることができるわけです。
では何を手掛かりに見分けているのか。輪郭をわざとぼかして見せるテストや、白黒にして見せるテストもしましたが、反応は落ちません。これらは手掛かりになっていないということが分かります。絵をひっくり返すことをやってみました。モネでつつけという訓練を受けたハトにひっくり返したモネを見せると反応はずっと下がってしまいますが、ピカソの場合は逆さにしても結構反応します。人が間違えるような間違いを鳥もまたするのだということを示したことになります。
モネとピカソが特殊かもしれないということも考えて、ゴッホとシャガールでも同様の実験をやりましたが、同じように区別できました。さらにハトが特殊かもしれないということで、ブンチョウを使って類似の実験をしましたが、ブンチョウでも絵画弁別ができました。
良い絵と悪い絵の区別もテストしました。小学校で、図画の先生に点数の良い絵と、悪い絵のサンプルをいただいて使いました。人間で実験しても上手下手の分類はできますが、ハトでテストをしたところ、初めて見る絵でも上手下手の区別はつくらしいということが分かりました。
上手下手については、絵を白黒にしたり、それからモザイク処理で全体の印象は保ったまま細部をなくすと、かなり反応は落ちます。上手下手の区別は、画風の区別とは別のやり方をしているのだということが分かってきます。
ハトとヒトは系統発生上で離れています。共通祖先はずっとさかのぼって蜥形(せきけい)類というところにまで戻らないといけません。共通祖先の昔から、みんな絵の弁別はできたのだという考え方もありますけれども、それはやはり無理があって、ハトとヒトというのは違う進化の道をたどりながら、共通の随伴性(ずいはんせい)(注1)、共通の必要というと少し語弊があるのですが、それがあって類似した機能を作ったのではないかと考えられます。
実は鳥と霊長類は、例外はありますが昼行性で、視覚が重要な役割を果たしていることが共通です。さらに3次元の樹間生活の点も共通です。木から木への距離の推定、色を使って果物が熟れているかを判断するといった、似たような随伴性があって、鳥と私たちが絵画の弁別ができるような能力を身につけたと考えられます。
とはいえ本当に全部同じかどうかはわかりません。風が吹いて、枝の位置や地上の影が少し違うだけの、同じ場所の風景の2枚のスナップ写真は、人にはとても分かりづらいのですがハトは区別します。他にもヒトは全体のパターンを見ているのに、ハトは細かい差異を見て区別しているという研究がいくつもあります。
印象派と日本画を区別するように訓練した後、絵をスクランブル、つまり縦横に細かく切り分けてごちゃごちゃに並べ替えたものでテストをすると、ヒトではもう区別ができないというぐらい細かく切り分けて並べ替えたものでも、ハトはかなり正しい反応をします。どうも細部を手掛かりにしているらしいのです。しかし、上手下手の弁別ではスクランブルするとたちまち分からなくなってしまいます。印象派と日本画の区別と、上手下手の区別では、違う戦略で弁別しているということになります。
まとめると、私たち、つまりヒトと鳥は、絵を見分けている。でも、違う情報処理をしているということです。
2番目は音楽の世界です。ブンチョウに音の弁別を訓練しました。バッハの曲が流れたときに音源寄りの止まり木に移ると餌がもらえますが、シェーンベルクの曲が聞こえたときは移ってももらえないという訓練をします。ほかのバッハでも、ほかのシェーンベルクでも、そして古典派と現代音楽であるヴィヴァルディとE・カーターの区別も、この訓練をしておけば一応できます。絵の弁別と大変似た現象です。
音の弁別で一番大変だったのはキンギョで、遅いものだと181日という大変な訓練が必要でした。また、キンギョは同じ作曲家でも他の曲に変えてしまうとだめです。区別がつくことはつくのですけれど、ブンチョウとはちょっと違うやり方だということが分かります。
音楽の聞き分けの実験は私のやったもの以外にもいろいろあって、訓練すれば、ブンチョウばかりでなく、キンギョでも、コイでも、ハトでも、ラットでも、ヒトでもできます。
では、音楽を楽しむかということが次の課題になります。まず、ハトでスキナー箱を使って実験しましたが、バッハとストラヴィンスキー、バッハと雑音、ストラヴィンスキーと雑音のいずれも、好みに区別がありませんでした。また同じような実験をしたラットでもキンギョでも音楽の好みが見られませんでした。
そこで鳴禽(めいきん)(注2)のブンチョウで実験しました。その結果、明らかにバッハをシェーンベルクより好みました。さらに、ヴィヴァルディ、無音、カーターで実験すると、カーターよりはヴィヴァルディを好みました。一般的にそうだというのは難しいのですけれど、この実験からブンチョウは古典音楽が好きだと言えると思います。
音楽の好みの実験はいろいろな人がいろいろな動物でやったのですけれど、ほとんどが失敗していて、私どものブンチョウのものだけがうまくいきました。しかし、これは音楽の選び方に若干問題があるのではないかと私は思い始めました。いろいろな方が使った音楽はすべて西洋音楽というバイアスがあったのです。
デグーというのはアンデス地方の子猫ぐらいの大きさのネズミで、複雑な聴覚コミュニケーションを持っています。これまでの実験で、鳴禽とヒトだけで音楽の好みが見つかったのはなぜかと考えると、鳴禽もヒトも、歌なり言語なりという複雑な聴覚コミュニケーションがあって、またかなり複雑な社会を持っていることが考えられるのですが、その条件を満たす哺乳類がデグーなのです。
実験してみると、バッハとストラヴィンスキーでは違いがなかったのですが、デグーの原産地のチリの音楽と西洋音楽を聞かせますと、チリ音楽に明らかな選好が見られました。その後、チンパンジーにアフリカ音楽を聞かせたという報告があって、チンパンジーは、西洋音楽はだめだがアフリカの音楽は好きだということが分かったのです。
まとめると、鳥を含めて、多くの動物が音楽の聞き分けをします。しかし音楽の好みは、これからまだ研究する必要があると考えています。
これから鳥の脳の話に入ります。脳は外から見ることができず、見ただけでは何をやっているか分かりません。脳の研究のためには、どうしても脳の中に物を入れて記録を取るとか、あるいは脳の一部を壊すということが必要になってきます。今、ご覧になっている方の何人かの方は、そんな残酷な実験をする必要があるのかという疑問をお持ちになると思います。私はそのとおりだと思います。そういう批判を私はご批判として受けますが、同時にそういうことによって、初めて分かることがあり、それが鳥の理解ばかりではなくて、人間の理解にもつながるのだということをお話しできればと思います。もちろん鳥の脳に手を加える実験を行う時には、不必要な痛みを与えたり、不必要に鳥を殺すということはないように細心の注意を払って実験をしています。
いろいろな動物の体重と脳の重さの関係を図に描くと、一般的に言えば、体重が大きければ脳は大きくなることがわかります。また、脳を大きくしたグループは哺乳類、鳥類、小さくしたのは魚類、爬虫類のグループということが読み取れます。実際、脳が大きくなるのは、脊椎動物の中では哺乳類と鳥類で、ほぼ独立に2回起きているというのが神経解剖学の知見です。
大きいのがよいことなのかということですが、いろいろな情報処理をやろうと思うと、脳は大きくならざるを得ないのではないかと思います。コンピュータであれば集積密度を上げることはできますが、脳は、細胞でできているという素材の制約があります。
実際に、交通事故に遭った鳥の死亡率と脳の大きさを調べた研究によると、もちろん脳が大きいと頭がよくて交通事故に引っ掛からないという単純なことは言えませんが、脳が大きいほど事故に遭わないということがわかりました。
ところが不思議なのは鳥の脳が高機能なのに小さいことです。本当に高機能かの研究を今日は2つご紹介します。
カレドニアガラスというカラスの仲間は、道具をつくるので大変有名です。G・ハントさんという方が研究されました。このカラスは、フックのある道具を作ります。さらに、肉厚の単子葉植物のへりを細長く切り取って柄の長いヘラを作ります。同じ細さで切り取ってしまうとぺにゃぺにゃで使いづらいので、根元は太く、だんだん先を鋭くしてしっかりしたものを作ります。さらにオックスフォード大学でやった実験ですが、このカラスに小さなバケツの中にある餌を取り出させました。与えられた針金を適切に曲げてバケツを取り出すことが必要ですが、これをやってのけます。
これらの道具は、集団内でほぼ同じものをつくる規格化があり、複数の工程の存在、フックなど、ヒトの石器でも後にならないとできない洗練されたものです。
さらに、イソップ実験という、くちばしの届かない筒の中の水の上に餌が浮いているのを取り出すテストがあります。カレドニアガラスは石を入れて水面を上げてこれを取り出します。
鳥の脳が高機能だろうかという話として、もう一つ、鏡像自己認知についてお話しします。これはマーク・テストというのが有名です。チンパンジーに麻酔をかけて、寝ている間に口紅で額に印をつけて、十分麻酔から覚めたときに鏡を見せると、その場所を触るので大変有名になりました。ヒト、ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンができて、サルはできないと当初言われていました。しかしその後、サルも含めて霊長類、ゾウ、イルカなど、かなりいろいろな動物が、鏡像自己認知ができることが分かってきました。
では、鳥はどうでしょう。私のところでブンチョウとカラスで鏡を見せる実験をしましたが、出てくる行動は完全に他個体に対する行動です。鳥は、鏡像自己認知はだめなのだと思われていたのですが、2008年にカササギで成功したという報告が出ました。しかし今年になって、追試ができないという報告が出ましたので、まだ検討の余地があります。
それ以前に、R・エプスタインさんという方が、ハトの鏡像自己認知の実験をなさいました。鏡像自己認知をするためには、自分の体を触ってくれなくてはだめです。それから、鏡を見て、その鏡の像からあちらに何かがあるなというのが分かる必要があります。その2つの前提条件をハトに訓練しました。エプスタインさんたちの発想は、鏡像自己認知ができなかった動物でも、しかるべく手続きを踏んで訓練をすればできるようになるだろうということです。
ところがこの実験は、追試をして再現性があったというのと、なかったという報告があり、いずれもちゃんとした論文になっていませんでした。それで内野衣美子さんという学生がこれに挑戦してみました。
先ほどの2つの予備訓練をするのに、ものすごく時間がかかりました。しかしそれを徹底的にやると、鏡で見てつつくというのをきれいにデータとして出すことができました。2つの予備訓練さえさえやっていれば、鏡像自己認知はできるということだと思います。
もうひとつ、その続きの実験についてお話しします。ハトに今、自分の行動を映しているビデオ映像と過去に記録しておいた映像の区別がつくかをスキナー箱に入れて訓練し、その後、遅延再生をして、例えば3秒前の行動の映像と、全然関係ない記録映像の区別をさせます。再生が遅れるにつれて、反応は下がっていきますけれども、3秒、5秒ぐらいは何とか区別します。実はこれはかなり難しい課題で、人間のお子さんだと、3歳ぐらいまで、遅れがあると何だか分からなくなってしまいます。
さあ、高次な認知機能だと考えられる道具の作成と自己認知のテストをしましたが、小型脳の鳥はパスするということになります。
多くの脊椎動物は、進化の過程で体を大きくしましたが、鳥は、祖先の恐竜から今の鳥に向かって、体を小さくしています。おおざっぱに言えば、体の大きさと脳の大きさは比例関係にありますから、体が小さくなったら、脳も小さくなる。どうしてあんな高機能ができたのか。
哺乳類と鳥で、同等の大きさの脳をもつ種で神経細胞の数を比較すると、鳥のほうが圧倒的に神経細胞の数は多いのです。また、大脳だけを見ても、哺乳類は大きくて、鳥は小さいのですが、神経細胞の密度を見ると、鳥大脳は哺乳類に比べて神経細胞が詰まっているということが分かりました。
ヒトの脳の特徴は大きいこと、もうひとつは皺があることです。皺があって大きな脳を持っているのは人間だけの特徴ではなくて、クジラ、ゾウ、ラクダなど人間以外にもたくさんいます。しかし霊長類でもサル、海獣類でもマナティは皺がありませんので、グループごとに皺が多いとか少ないとか決まっているのではありません。そして、鳥ですが、ツルツルで皺がありません。
哺乳類の大脳皮質を薄く切りますと、外側に神経細胞がたくさん詰まっている灰白質と呼ばれる部分があって、その下に神経線維のかたまりの白質という部分があります。灰白質を拡大すると、6層の層構造があります。
ハトで同様に大脳を切ると、層構造がなくて、全体が灰白質なので、哺乳類とは構造が違います。鳥には層構造はありませんが機能の異なる神経細胞のかたまりがあるのです。哺乳類は層構造があって、それらの層に異なる働きがあり、視床から送られた情報を処理する回路になっているのですが、鳥の場合は、確かにこのような層構造はないけれども、かたまりごとに役割のある回路があることは同じです。
最後に鳥の視覚脳を見てみたいと思います。鳥類も哺乳類もどちらも2つのルートを持っています。網膜から視床を経由して大脳に行く経路と、網膜から上丘、視床を経由して大脳に行く経路があります。大脳も視床も前脳、上丘は中脳にあります。
霊長類の視覚脳では、メインルートは網膜から視床を経由して一番後ろにある第一次視覚野に行きます。そこからルートが2つに分かれて、大脳のひとつは下のほうの側頭葉に行って、今見ているものはどういうパターンかを分析します。もう一方、大脳の上のほうの頭頂葉というところに行って、物がどこにあるのかという分析をします。2つ合わせて、何が、どこにあるという区別ができるわけです。
鳥はというと、2つの経路のうち主たる経路は哺乳類と反対で、網膜から上丘を経由して、大脳に行くものです。そこで最初にお断りした脳を壊す実験をしました。課題はパターンの弁別と、食べ物とそうでない物の実物の弁別なのですが、それぞれ易しい課題と難しい課題をさせます。損傷個所は、内外套(がいとう)と新外套のいずれかで、損傷した後の正しい反応を見るのですが、内外套を壊すと、パターンの弁別も実物の弁別も難しいほうができなくなります。
簡単なほうはできることが分かりました。最近発表された論文では、以前私のやったようにモネとピカソの弁別をハトにさせるのですが、電気生理といって内外套の神経細胞の活動のデータを取っています。刺激が出ますよという信号が出て、モネの絵が出て、つつくと餌がもらえる。あるいはピカソが出て、つついても餌がもらえない。この刺激が出ているときの内外套の活動は、餌が出るものか、そうでないかというカテゴリーによって違うことが分かりました。ハトに、他のハトの画を見せることで、AのハトとBのハトの個体弁別を訓練できます。また、ハトとウズラの弁別、つまり種弁別も訓練できます。それらの訓練をして、高外套か内外套のいずれかを損傷すると、高外套の場合は、種弁別でも個体弁別でも、正答率に変化はありませんが、内外套を壊すと、種弁別は大丈夫ですけれども、個体弁別が失われてできなくなります。つまり網膜から上丘に行って、円形核に行って内外套、ここに行くものが細かい複雑なパターン弁別をする経路だというのが分かります。
霊長類モデルで言えば、視覚一次野から下側頭回に行くパターンの弁別を、鳥はこれでやっていたということが分かりました。
内外套が、ものが何であるかということを調べる経路なので、位置のほうは高外套を調べました。
例によってスキナー箱で、3つ、つつく丸窓があります。ひとつが正解なのですが、この位置を覚えると、今度は別の位置が正解になります。このようにして連続して次々と新しい位置を覚えなくてはならないという訓練をします。これはつつく丸窓の位置の課題、空間課題ですが、高外套損傷によって、それが傷害され、できるまでの試行数が俄然増えます。
ところが、3つの丸窓に異なる色をつけておくと、今度は空間課題ではなく、色の課題になるのですが、そのときには高外套を壊しても効果がありません。
実は高外套というのは海馬(かいば) につながっていました。海馬は空間記憶に関係するところです。情報は視床から、高外套を経由して、海馬へと流れます。位置の課題ができなくなるのは高外套を壊した時ばかりでなく海馬を損傷しても起きます。空間情報処理は、本来は海馬でやっているけれども、高外套を壊されると海馬に到達できなくなると考えられます。
ハトの実験は狭いスキナー箱でやったので、もう少し広いフライングケージで、キンカチョウを使って実験しました。高外套を壊すと、空間課題はできなくなりますが、パターンの課題は大丈夫です。ところが内外套を壊すと、パターン弁別の課題はできなくなるけれど、空間課題は大丈夫です。これを、二重乖離(かいり)と呼びます。
まとめると、霊長類と鳥はどちらも位置情報とパターン情報の並行処理をやっているのは同じだが、使っている脳の場所は違うということです。
鳥の脳についてまとめると、(1)鳥脳は小さいけれど、高機能だ。それは神経細胞が詰まっているからだ。(2)鳥の大脳は層ではなく、細胞のかたまり、核でできている。しかし、その回路はヒト大脳と似ている。それから(3)鳥類視覚脳はパターンと位置を脳内の別の経路で並行処理をする。これは霊長類でも同じだ、というわけです。
最後にお持ち帰りメッセージです。ひとつは、進化が分岐していくということは、みんな常識で分かっているのですが、心の進化のことになると、直線的な進化の考え方になりがちで、これは間違っているのがメッセージの1番目です。
2番目。今日お話ししたのは、鳥の話ですけれども、例えばイカ、タコ、ハチ、アリといった無脊椎動物も相当すぐれた機能を持っています。心というものが複雑な神経系が生み出す情報処理のひとつだと考えれば、さまざまにそういうものがあって、その中のひとつがわれわれの脳のシステムで、心と呼ばれるものは、ひたすらヒトに向かって行くのではなくて、ゾウになったりイルカになったり、タコになったり、それぞれ花束の花が広がるように広がっていく。私はそれを「比較認知の花束」という言葉で呼んでおります。
最後に宣伝ですが、まもなく、『あなたの中の動物たち』という本が出版されます。その中で私が一番主張したいのはこの、比較認知の花束という考え方なので、興味がおありになる方は、ぜひ書店で手に取っていただければと思います。
どうもありがとうございました。
(注1)随伴性 ある事象があれば別のある事象が生じることを随伴性と言います。スキナー箱の実験では丸窓をつつく行動(オペラント)と餌の提示には随伴性があると言います。同じように系統発生(進化)においても、ある行動が適応的で子孫の拡散を起こす場合に(系統発生的)随伴性があると言います。
(注2)鳴禽 鳥類のうち、スズメ亜目に属する種を指します。鳴管という発声器官が発達しており、一般にさえずりが高度に発達しています。スズメ、ツバメ、ホオジロ、ウグイスなど、一般に小鳥と呼ばれる種の多くが含まれます。
東京大学大学院総合文化研究所教授 理化学研究所
脳神経科学研究センター チームリーダー
岡ノ谷一夫
渡辺先生、山階芳麿賞受賞、おめでとうございます。私は、渡辺先生がアメリカ留学から戻られて、慶應義塾大学助教授になられた時に、先生のバイオサイコロジーのゼミの初代の学生となって以来の弟子です。私が渡辺茂先生から学んだことは3つに分けられます。ひとつは比較という方法について、それから系統進化と収斂進化(しゅうれんしんか)(注3)について、3番目に反擬人主義です。
先生のたくさんの本の中から、およそ10年ごとに一里塚となるような本が出ています。2001年の『ヒト型脳とハト型脳』では、比較という方法について、2010年の『鳥脳力』では収斂進化について、ごく最近出た『動物に「心」は必要か』では反擬人主義について学ぶことができます。
私自身が先生の教えのもとに進めてきた研究ですが、ジュウシマツとその原種であるコシジロキンパラの歌と行動を比較しました。家禽であるジュウシマツは複雑な歌を歌いますが、野生のコシジロキンパラは決まった単純な歌い方をします。そこから、人間が複雑な音声コミュニケーションを作っていったことを考えられるのではということで、ジュウシマツの歌の複雑さはヒトの音声言語の複雑さと収斂したということ、収斂する過程で、人間の場合は自己家畜化、ジュウシマツの場合は家畜化という過程があったのではないかという仮説を作っています。でも、小鳥の歌は生殖行動であって、歌に文法があるからといって、これ自体は意味を持ちません。ここから擬人主義に陥ることはないということで、比較、収斂、擬人主義、反擬人主義というキーワードが私の研究に生かされていると改めて感じています。
まず、比較という方法についてです。鳥の脳の顕著な特徴として皺が全然ないことがあります。だからと言って鳥の脳が劣っているということはなくて、哺乳類の脳と鳥の脳というのはそもそものつくり方、特に大脳皮質のつくり方が根本的に違うのです。
そして、系統進化と収斂進化ということですが、異なった構造のハトとヒトの脳に、類似した機能が宿るということが先生の研究で分かってきました。比較認知の花束という言葉が出てきましたが、進化はしばしば直線的なイメージで語られますけれど、それは進化のごく一部で、進化というのは分岐の構造なのです。
例えば、視覚系、特に明るいところで物を見る機能を調べてみると、ハトとヒトの間に非常に類似点があります。しかし、夜行性のフクロウやネズミまで考え合わせてみると、ハトとヒトとの類似は、系統発生的な類縁に基づくのではなくて、共通の随伴性に基づく、すなわち収斂進化であると伺いました。
私が重要だと思うのは、ハトの高外套(がいとう)と内外套の二重乖離(かいり)という研究です。ヒトの視覚系では背側経路と腹側経路で分担している空間認知とパターン認知を、ハトでは高外套と内外套が担っており、鳥と人間の脳の間に収斂が見られるということが先生のご研究で分かったわけです。
渡辺先生の一連の美の研究は『美の起源』という本にまとまっていますが、美の収斂進化を考えた本だと理解しています。美をめでるという機能は必ずしも系統に沿って進化したわけではなくて、同じような強化随伴性、そして発達の過程のもとに美が収斂進化してきたのではないかということが述べられています。
最後の反擬人主義については誤解が多いかもしれませんが、動物に心がないと言っているのではないのだと思います。研究の上で心を仮定する必要がなければ、仮定しない。しかし、それは動物の心を否定していることと同じではありません。動物に固有な心的体験を否定しないで、それなしにも展開可能な比較認知神経科学を、適応と学習、すなわち進化的な随伴性に基づいて構築しようとしている。これが渡辺先生の立場ではないかと私は理解しています。
動物に心があることを前提に研究すればいいではないかと思われるかもしれませんが、動物の心に直接迫ろうとすると、多くの擬人主義的な間違いを犯します。回り道に見えますが、心的体験は否定しないで、しかし、心の存在を仮定しないでもできる研究を積み重ねていくことが近道なのではないかということを、ようやく私も理解しました
(注3)収斂進化 系統の異なる生物の間で、独立に形態、生態その他が類似する方向に進化することを言います。軟骨魚類のサメと哺乳類のイルカが、それぞれ別個に、遊泳に適した流線型の体型をもつように進化してきたことがその一例です。
コメンタリーに引き続き、YouTubeのチャット機能を用いて質疑応答を行いました。
司会 質問をいただいています。鳥には選好があるのかについてお話しされていましたが、情動や感情があるのでしょうか。
渡辺 情動は、身体反応と考えられていて、それはもちろんあります。感情は普通、身体的な情動反応の人間の説明というふうに考えます。そういう意味では感情はないと思います。
司会 情動は学術的な用語として定義されているのでしょうが、それは、怖い状況では怖いと鳥も思っているということでしょうか。
渡辺 まあそう言ってよいのですが、怖いと思うから、鳥が飛んで逃げたというのは、ちょっとまずいと思うのです。鳥でも他の動物でも、僕らが思っているのと同じような私的な経験があるというのは、僕は全く否定しません。でも、私的な経験というのは、ちょっと難しい言い方ですが、従属変数であって、独立変数ではないというふうに僕は言います。つまり、環境が変わることによって、私的な経験が外に出なくても起きる。それは確かだけれども、それを行動の説明にしてはいけないということなのです。
岡ノ谷 行動の原因として心を仮定するべきではなく、行動の結果としての心については議論できるということではないでしょうか。
司会 難しいですが、勉強したいと思います。次の質問です。ハトは少し風が吹いただけの似ている写真などの見分けができるというところで、局所的に認知しているというお話がありました。微細な部分を丸暗記のように覚えることは、コストが大きいように思われるのですが。
渡辺 必ずしも局所的に全部を覚えなくてはいけないということではないわけなので、局所的なところで区別をしてしまったほうがコストは低いのではないかと思うのです。人間は全体処理のほうが多いですけれども、全体処理のほうが楽かというと、それは場合によって違うのではないかと思います。
司会 ハトのほうが融通が利かないのでしょうけれども、人間のほうが変な融通を利かす分、その処理にコストが掛かるかもしれないということでしょうか。
渡辺 その方が高いコンピュータでやらないとできないのではないかと思うのです。もうひとつ僕が主張したいのは、ハトは何でも局所処理でやっているわけではないのです。上手下手の区別のようなものは、全体処理を使っているので、思っているほど融通が利かないのではないというのを私は示したつもりです。
岡ノ谷 人工知能のようなものを考えると、局所処理は1層あれば処理できるのですが、全体処理をすると、処理を階層化させて上からいかないとならないと思います。全体処理のほうがコストは高いのではないかと思います。
司会 もう1問いただきました。デグーがチリ音楽に選好を示すということですが、ヒトが作る音楽が現地の物理環境をヒト以外の動物にも想起させるような響きを持つという可能性は考えられるでしょうか。
渡辺 おっしゃるとおりだと思います。ビオフォニーという環境の音のランドスケープのようなことが考えられます。反響や伝播の特性といった物理的なことと同時に、そこにいる虫や鳥の声など全部を含めて一つの環境で、それがそこに住んでいるものみんなに影響する、つまり、人間の民族音楽に影響するし、同じようにそこに棲んでいる動物に、民族音楽の選好という形で出てくるのだと思います。
司会 もうひとつ、人間は模様など、人の顔と認識する傾向があると聞いたことがありますが、鳥も絵を見て何であるかを認識しようとしているのでしょうか。
渡辺 それは大変面白いテーマで、鳥が餌を探すときに頭の中に探している餌のイメージがあると、それを取りやすくなります。ばらまいている餌の頻度以上によく見つかるので、探している時にはそのイメージを思い描いていることになります。
司会 最後に一言ずつお願いします。
岡ノ谷 われわれは人間だから、人間のことが気になるのは仕方ないのですが、サルからヒトにだんだん立ち上がってゆくというような捉え方ではなくて、先生がおっしゃったように比較認知の花束、分岐の過程として進化を捉える。そういうことをすることが結局はわれわれ自身をよりよく理解することにつながると思っています。そういうところを渡辺先生から学んだと考えています。
渡辺 ヒトの理解のためにやはり系統進化の研究というのはもちろん必要なことだと思うのですが、鳥の研究がどういうふうにヒトの理解に役に立つかというと、注目すべきなのは収斂のほうで、どういう随伴性があってヒトの心ができてきたのだろうかということの解明には、似た種であるサルなどよりは、少しかけはなれた所にいる鳥の研究が非常に貢献すると思っています。
司会 本日は大変ありがとうございました。