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今日に生きる下村写真作品

 下村兼史は、野鳥を主とした生態写真の先達である。1922年に日本で初めて撮影されたカワセミの原板第1号以降、プロの生態写真家として1967年に生涯を閉じるまで、下村は日本の野鳥生態写真史の初期を一人駆け抜け、その礎を築いた。

 下村は、世界大恐慌、世界大戦、関東大震災など社会の激動を経験した。社会的に困難な時代を通じ継続的に写真撮影を行った。下村のひたむきな自然への情熱が駆り立てたことは想像に難くないが、北千島のような現在容易には行けない地にまでカメラを運んでいる。

 下村自身、“動植物の生態を記録する一手段として写真の利用は最も必要である”と「動物生態写真撮影法」(建文館 1937年)注1で述べている。単に野鳥をカメラの被写体として扱ったのではなく、生態を記録するという自然観察者の視点を持ち、記録の手段がカメラだったのである。

 下村写真の作風を特徴づけているのは、芸術性と資料性であろう。さらに写真や映画を通して下村作品が野鳥や自然への関心を一般に喚起した点に触れておきたい。

  1. 下村の写真は、野の鳥の姿を自然の一部として画面に切り取り、そこに詩情豊かな雰囲気を表現している。写真の技術に加えて芸術的なセンスの光る作品を創るのである。コウノトリオオヨシキリセグロセキレイカワガラスなどが挙げられる。
     動物写真といえば犬、ネコ、家畜、動物園の動物などであって、自然の中で撮られた鳥の生態写真がいわゆる動物写真のジャンルで“通用する写真”として登場したのは、「現代日本写真全集 第8巻 動物作品集」(創元社 1958年)注2であろう。周はじめのカラスと田中徳太郎のシラサギが採録されたのが最初と思われる。下村はそれより数十年早く野生に息づく鳥を芸術的な視点を加えて創作していた。

  2. 多くの下村写真は、野鳥の生態を自然にあるがままに記録し
    た。分類学が主流の時代に必要とされた標本採集に代わる手段として、生態写真で野外鳥学に貢献したのである。貢献度の一端は、下村撮影の写真が鳥学会の重鎮の執筆になる鳥学書に採用された掲載数で知ることができよう。清棲幸保「日本鳥類大図鑑」I, II, III注3に83点、清棲「日本鳥類生態図鑑」に66点、内田清之助「画と鳥」に52点、日本鳥学会編「日本鳥類生態写真図集」に27点、内田「新編鳥学講話」に25点、山階芳麿「日本の鳥類と其の生態」I, IIに24点などが掲載数の多い文献である。

     下村写真には日本で初めてカメラに写し撮られた鳥類が相当数あると思われるが、鳥学に貢献した注目すべき具体例を次に挙げておく。いずれも原板或いはオリジナルプリントが、下村兼史資料として山階鳥類研究所に所蔵されている。


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  1. 日本で繁殖の新発見となるマミチャジナイの育雛を写真に記録した。往時、鳥学会で認められるには鳥や巣卵を採集する必要があったが、下村は証拠としてカメラに記録した。因みに、この富士山麓須走において撮影されたマミチャジナイとされる個体は、後年アカハラの個体変異とされるに至った。

  2. 希少種が写真に記録された例として、ナベコウ、ヘラサギ、トキの飛翔、巣にいる雛や地元トキ関係者を記録した写真、ツクシガモの群れ、ツバメチドリ、コウノトリ、ヒメクイナなどが挙げられる。

  3. 生態的に当時新しく写真に記録されたものに、コルリの巣に託卵するジュウイチ、チョウゲンボウの繁殖、巣に出入りするヤイロチョウ、泳ぐカワガラスの雛、ブッポウソウの繁殖、ハイタカの育雛、サカツラガン、タンチョウなど多数ある。

  4. 日本で越冬するが繁殖はしない海鳥やシギ類などの繁殖期の生態が、樺太、エトロフ島、北千島で多数写真に記録された。ミツユビカモメ、アビ、シロハラトウゾクカモメ、ハマシギ、タカブシギ、ワタリガラス、ムネアカタヒバリなどである。鳥以外でも、北千島の最北、占守島からカムチャツカを遠望した写真(未発表)は、当時日本人の撮ったものとして希有な存在であろう。

  5. 鳥の生態写真の背景に写された環境や棲息環境そのものの写真は、二度と撮れない過去の環境が推し量れるビジュアル的な資料である。そのような画像のいくつかを「足跡と原板資料」に例示した。

    下村が見た1930年代の北千島パラムシル島の環境と今日のそれを比較しえれば、興味深い結果が期待されよう。1920年代を撮った鹿児島県荒崎の鶴の越冬地では、現在みる耕地整備事業が整然と実施された田んぼ環境とは異なる、自然度の高い雰囲気を写真から読み取ることができる。未発表を含めて下村が環境を撮った作品は、環境変化の激しかった高度経済成長の時代を経た今日、変貌する環境を比較する資料に資することができよう。


  1. 下村自身の著書に掲載された写真及び演出、監督した映画作品を通じて、野鳥や自然への興味関心を一般に広めた貢献は、その度合いが計り知れないものではあるが、特筆に値しよう。自然ドキュメンタリー科学映画を回顧する作品として、映画「或る日の干潟」「慈悲心鳥」など注4が今日でも映画祭や番組などで取り上げられている。


下村写真作品の価値を理解する一助に、下村が活躍した20世紀初中のカメラ機材やフィールドでの撮影事情に簡単に言及しておく必要があろう。往時の撮影機材の性能の低さ及び撮影条件は、現在のデジタルカメラ全盛、高度情報化、高速交通網の時代においては想像し難いものであったからである。
  

  
下村が愛用したグラフレックスカメラ
皮製のケースを合わせると5kgにもなる
 まず低い機動性。下村が初期に多用したグラフレックスカメラ自体の重さが3.9kg。これに暗い望遠レンズと重い木製三脚、撮影用ブラインドなどが加わる。これらを最寄りの駅から撮影現場まで背負っていかねばならない。

 撮影機材のプリミティブな操作性。総ては手動で、ミラーも1回毎にノブを回して跳ね上げる。露出やピント合わせは、カンと経験による。フィルムパックをセットしたり、シャッター1回毎に乾板を入れ替えたりする。低感度の感光乳剤が塗られた手札判ガラス乾板は、1箱12枚入り。その内の2枚を予め入れた乾板ケースをカメラに装着し、1回のシャッター毎に裏表を返す。2回撮り終わったら次のケースと装着替えする。12回シャッターを切ったら、6ケースで乾板1箱分の終わり。乾板はガラスの重さとケースの嵩とで、大量には持ち歩けない。1日に切れるシャッターの回数が制限される。うっかり落としてガラスが割れれば、それまでである。過酷とも思えるほどの条件の下で撮影が行われた。傑作写真1枚までの道は、はるかに遠く厳しかったのである。


 下村時代の生態写真撮影には、カメラや乾板・フィルムを扱う特殊技術とフィールドでの生物被写体の生態知識とが要求された。下村作品は、まさに日本の生態写真史の黎明期の産物である。

 下村の生態写真が国際的な評価を得たのは、1935年の世界自然写真展(International Exhibition of Nature Photography) に出品された作品である。ツツドリとセンダイムシイ、トラツグミ、ルリカケスナベヅルは、開催後に出版された傑作写真集“Nature in the Wild”注5に日本からは下村が唯1人選ばれて収録されている。1人の作家が4点も掲載されたのは例が少なく、海外でも下村の写真が高い評価を得たことを物語っている。

 今日でも下村の写真作品(映画作品も)がその価値を内在し色褪せていないのは、大正から昭和の時代、北千島から奄美大島まで各地で継続的に撮られたモノクロ生態写真の資料性と、下村の作風に滲みでる写真表現の芸術性とに起因しているといえよう。そのような下村作品から、カラー写真全盛の今日でも学ぶに値する多くのものが汲み取れるのではないだろうか。



山階鳥類研究所所蔵の下村写真作品の価値

 下村が遺した写真作品の全貌は、撮影ノートの類が未発見のため、正確には把握し得ないのが現状である。数量的な記述は、どこにも見るものがない。下村自身が「カメラ野鳥記」(誠文堂新光社 1952年)注6に書き残した“1922年(乾板第1号)から約4年余りたった後、原板601号が出来た“という記録があるのみである。山階鳥類研究所が“集中的に所蔵している”と思われる以外に、個人所蔵下にある下村撮影の写真作品が散在することも事実である。その実態は推測の域を出ない。本研究所が所蔵する下村写真作品の価値を、既存文献資料に基づいて次に考察を試みる。


 野鳥や棲息環境などの写真が多く掲載されている下村の著書(共著を含む)のうち、掲載写真数の最も多い10点は、次の表の通りである。


文献別 山階鳥類研究所所蔵の原板点数リスト

書籍名 注7

掲載写真数

所蔵数*

「野の鳥の生活」

72
72
100

「北の鳥南の鳥」

71
71
100

「鳥類生態写真集」第1・2輯

168
162
96.4

「干潟の生物」

104
99
95.2

「原色日本鳥類図鑑」

82
76
92.7

「原色野外鳥類図譜」

68
63
92.6

「原色鳥類図譜」

102
90
88.2

「観察手引 原色野鳥図」上・下

96
72
75.0

「原色狩猟鳥獣図鑑」

123
91
74.0

「家禽家畜圖譜」

225
17**
7.6

所蔵数は、掲載写真に関して山階鳥類研究所が所蔵する乾板・ネガ或るいはオリジナルプリントをカウントした数。但し、オリジナルプリントについては、原板(乾板またはネガ)が確認されない場合にのみカウントした。

** 掲載写真数の最も多い共著の「家禽家畜図譜」は、写真内容が豚、鶏、鳩、馬、牛、羊、犬などであり、他の下村書籍とは被写体を異にする上、他人の撮影による写真の掲載が多いと思われる。そのため所蔵写真数の割合が低いものと考えられる。



 10点の著書の間では、同じ写真が重複して含まれていること、撮影者が下村でない写真が掲載されていることから、著書間における所蔵数を単純に合計することによって山階鳥類研究所の総所蔵数を把握し比較できることにはならない。

 10点の中で被写体が主に野鳥であり、総ての掲載写真が下村の撮影によるものであると判断される著書を選ぶと、「鳥類生態写真集」第1・2輯、「野の鳥の生活」、「北の鳥南の鳥」の3作のみである。これら3作の掲載写真点数に対して山階鳥類研究所が所蔵する原板或いはオリジナルプリント数の割合は、「野の鳥の生活」100%、「北の鳥南の鳥」100%、「鳥類生態写真集」第1・2輯が96.4%である。

 3冊の内、「鳥類生態写真集」第1・2輯と「北の鳥南の鳥」とは、重複して掲載されている写真はない。「鳥類生態写真集」第2輯と「野の鳥の生活」とで、3点が重複しているだけである。注83冊の掲載写真合計311点のうち、重複分を除くと302点の原板類を本研究所が所蔵していることになる。つまり、これら3著作に掲載されている写真総点数の内、97.1%にあたる乾板またはネガ、もしくはオリジナルプリントを所蔵している。

 以上のことから、下村の撮影した乾板、ネガ、プリントの重要なものを山階鳥類研究所が集中的に所蔵していると判断、評価できる。


 
■まとめ

 下村兼史が生態写真を撮り始めてから90年近くも経った現在、下村の写真資料が戦火や散逸を免れ山階鳥類研究所に集中的に保存されていることは、日本の生態写真史上で奇跡に近い事例である。
 
 鳥類の生態写真を撮った下村の同輩後輩たち、例えば葛精一、宇田川龍男、仁部富之助、石沢慈鳥、松山資郎、関公一、坂根干等のオリジナル写真資料は、今日その所蔵者の存在を探索することすら困難な状態にある。このことに思いをいたせばなおさらのことである。

 カラー写真全盛の今日、モノクロ写真の文化・芸術遺産的及びアーカイバルな資料的意義と価値の認識は、近年ようやくその緒についたところである。モノクロのネガおよびそのオリジナルプリントを発掘保存し次世代に継承していく機運が高まりつつある社会的な潮流で、山階鳥類研究所は一生態写真家の写真資料を保存管理することによって写真史の今日あるべき課題に応える嚆矢と言えよう。




注1:下村兼史. 1937. 動物生態写真. 建文館, 東京.
注2:後藤茂樹(製作責任).1958. 現代日本写真全集 第8巻 動物作品集.
   創元社, 東京.
注3:清棲幸保.1952.日本鳥類大図鑑 I‐III.講談社,東京.
   清棲幸保.1954.日本鳥類生態図鑑.講談社,東京.
   内田清之助.1934.画と鳥.梓書房,東京.
   日本鳥学会(編). 1935. 日本鳥類生態写真図集. 巣林書房, 東京.
   内田清之助.1949.新篇鳥学講話.暁書房,東京.
   山階芳麿.1934.日本の鳥類と其の生態 I.梓書房,東京.
   山階芳麿.1941.日本の鳥類と其の生態 II.岩波書店,東京.
注4:本ホームページ「生涯の記録」の「映画リスト」参照.
注5:Country Life, Ltd. 1935. Nature in the Wild. Selection of the World
   Finest Photographs.  London.
注6:下村兼史. 1952. カメラ野鳥記. 誠文堂新光社, 東京.
注7:本ホームページ「生涯の記録」の「著作リスト」参照.
注8:「鳥類生態写真集」第1輯のカワガラスPl.40-2は、「野の鳥の生活」の
   写真41(p.110)と、 第2輯のビンズイの巣と卵Pl.1は、写真10(p.46)と
   第2輯のコルリPl.22-Bは、写真34(p.94)とそれぞれ重複している。

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