アホウドリ 復活への展望 山階鳥類研究所 アホウドリのページ

悲恋のデコちゃん

2024年5月29日掲載

伊豆諸島鳥島に誘引用のデコイに求愛し、巣作りまでしたアホウドリがいました。調査員からは「デコちゃん」と呼ばれ、マスコミでもたびたび取り上げられて人気になりました。こちらのページでは、山階鳥研の広報誌「山階鳥研NEWS」に載った「デコちゃん」の記事をまとめてご紹介します(文中の所属・肩書はすべて掲載当時)。

悲恋のデコちゃん 目次

所員エッセー 悲恋のデコちゃん

山階鳥研 標識研究室研究員 佐藤文男

「デコイ No.22 成鳥タイプsky call型」、このデコイにぞっこんなのが、若い足環のないアホウドリ、通称「デコちゃん」である。足環がないため、われわれの行っている繁殖期の集中観察のデータからも、よくよく注意しないと、その情報を見つけだすことは困難である。だから未だにいつから初寝崎(はつねざき)の新繁殖地に飛来しはじめたのか不明である。少なくとも、1996年の繁殖期の後半にはNo.22デコイのそばに若いアホウドリがいたことが判明しているが、それ以前は足環がないため個体識別がなされていない。その後、昨年秋(1997)には他の繁殖個体と同じ時期に初寝崎のNo.22の元に現れ、熱心なダンスと巣作りを行った。時には一週間もデコイのそばを離れずに、一日中ダンスや巣作りに明け暮れていたこともある。この状態は翌1998年春まで続いていたと考えられた。

デコちゃん写真

デコイ No.22(右)のそばに立派な巣を作り、寄り添うデコちゃん(左)。'97年11月鳥島・初寝崎で=8ミリビデオから

しかし、どう考えてもデコイとのペアには無理がある。実らぬ恋なのだ。もちろん、こんなデコちゃんだから、調査員の注目度は高い、皆、観察のたびに、早く本物のアホウドリと恋に落ちることを願ったのだが、どういう訳かデコちゃん、近くに現れるアホウドリを無視することが多く、時には追いはらい、デートなどする気もないというそぶり。せめて会うだけ会ってみたら、話してみたら結構いい人(いいアホウドリ)ってこともあるよという調査員の願いもむなしく、なんと1998年秋にも早々と、前年以上の立派な巣を作って、どう!という態度で、われわれを迎えたのである。観察してみると、2人の間のダンスの回数は減少し、明らかに、新婚時代から安定した次の時期に入ったという感じである。これは、まずい、婚期を逃してしまう(本当に逃すかどうか私は知らない)。実は、鳥島では毎年5月にデコイを回収した時に、塗装のはがれや退色したデコイには補修作業を行っている。そして1998年5月にはたまたまNo.22の補修を行っていたのである。だからNo.22は新品同様、ますますいい女に仕上がっていたのだ。一応これまでの行動から「デコちゃん」は雄ではないかということになっている。「惚れなおしたぜ!」と言ったかどうか、とにかく、「俺達の仲をじゃまする奴は、山階鳥類研究所だってゆるさねぇ〜」という雰囲気、わかってもらえますか。

ところで、そこのあなた、彼の出生の秘密知りたくないですか。鳥島のアホウドリは長谷川博氏(※注1)により毎年すべての雛に足環が付けられているので、20歳くらいのアホウドリまではそのすべてに、足環があるはずである。つまり足環がないということは、高年齢の個体か、別の繁殖地で産まれた個体ということである。デコちゃんは見かけ上、明らかに黒色羽の多い若鳥の羽色で、年々白い羽毛が多くなってきている。このことから現在5歳くらいではないかと推定している。そう、彼はおそらく、アホウドリのもう一ケ所の繁殖地である尖閣(せんかく)諸島南小島生まれの可能性が高いのだ。

現在、尖閣諸島と鳥島のアホウドリの間に行き来があることは確認されていない。しかし、尖閣生まれの個体が鳥島に定着するということは、その逆も可能性が高いことになる。今頃、尖閣では「鳥島からお嫁に来ました、ふつつかものですがどうぞよろしく」なんてやっているかもしれない。われわれの行っている鳥島での活動が、もしかしたら、尖閣諸島の個体群の増加にも役だっていると考えたらうれしいことである。デコちゃんには気の毒であるが。
(写真・文 さとう・ふみお(※注2))

※注1)文中の長谷川博氏(東邦大学助教授)は、アホウドリ保護の第一人者です。
※注2)佐藤文男研究員は鳥島調査隊の「隊長」。本号が発行される頃は、渡島の準備に追われているはず。

山階鳥研NEWS 1999年2月号 より)

デコちゃん再び人気者に

デコイ作戦で、アホウドリをおびき寄せるために設置されたプラスチック製のデコイに求愛している個体が1羽おり、以前にもマスコミに紹介されたことがありますが、デコイ作戦の成功を受けて、この3月に再び脚光を浴びました。

デコイ作戦は、プラスチック製のデコイを多数設置し、アホウドリの音声も流して、アホウドリを条件の良い繁殖場所である初寝崎におびき寄せ、増やそうという作戦です。そのポイントは、デコイにおびき寄せられた若いアホウドリ同士が出会って番いを作るということにあるのですが、どういうわけか、おとりのデコイに恋したアホウドリが出てきました。

デコちゃん写真

デコイに求愛していることから、調査員らによってデコちゃんの愛称がつけられた。頭部に褐色の羽毛が残り若かった頃(右)(1997年2月)

このことは、佐藤文男研究員がすでに本紙1999年2月号に「悲恋のデコちゃん」というタイトルでエッセーを書いています。そこには、96年春の繁殖期後半にはNo.22のデコイのそばに若いアホウドリがいたことが分かっており、その後、そのデコイに求愛し、立派な巣まで作ったことが述べられています。そして、この個体が行動から雄と考えられること、本物のアホウドリが近づくと無視するか場合によっては追い払うこと、長谷川博さん(東邦大学)によって鳥島のアホウドリに装着されている足環がないことから、第二の繁殖地である尖閣諸島生まれの可能性であることも記されています。

デコちゃん写真

成長してすっかり大人の羽色になったデコちゃん(右)とNo.22のデコイ。2003年11月から04年11月まで、近くのNo.10のデコイに「浮気」したが、再びもとの鞘に収まった。アツアツの時代から安定した番いの時代になったのか、求愛のダンスの頻度はすっかり少なくなった。(2006年3月)

デコちゃんは紆余曲折を経つつもNo.22に求愛しつづけていましたが、今年に入ってデコちゃんが突然時の人(鳥)になったのは、2月6日に毎日新聞千葉版に記事が掲載されてからです。山階鳥研には複数のテレビ局から問い合わせの電話がかかってきました。アホウドリの現場のスタッフはすでに鳥島の現地調査に赴いています。電話を受けた広報室では、一刻も早くニュースを手に入れたいテレビ局の方をなだめ、調査隊の帰りを待つことにしました。鳥島の調査隊には、衛星電話経由の電子メールで「デコちゃんの取材希望が殺到してます。映像お願いします」と伝えました。

悪天候が続き、帰還が大幅に遅れた佐藤研究員が山階鳥研に出勤したのは3月10日、出張中にどっさり溜まった仕事はお預けにしてもらい、マスコミ対応をお願いしました。それからは皆さんもご存じのとおり、NHK(3月15日関東ローカル、16日全国放送)、フジテレビ(3月16日)で取り上げられ、佐藤研究員のコメントとデコちゃんの画像が流れて反響を呼びました。

デコイ作戦が成功し、デコイは来秋には撤去される見通しです。デコちゃんがかわいそうという声もありますが、自然界では、番い相手と死に別れることは普通にあることです。デコちゃんには今度こそ本物のアホウドリと幸せなカップルになってほしいと調査員らは願っています。

山階鳥研NEWS 2006年5月号 より)

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