2020年9月10日掲載
保全研究室室長 水田 拓
新型コロナウイルス感染症が世界中に流行して、収束の兆しが見られませんが、鳥類の調査研究に携わる山階鳥研はこの情況の中で、どんな考えで仕事を進めてゆけばよいのでしょうか?水田保全研究室長に考えを聞きました。
新型コロナウイルス感染症が拡大するなかで感じたのは、世の中にはなくてはならない仕事がたくさんあるなあということでした。医療従事者はもちろん、物流を支えるトラック運転手、スーパーなど小売店の店員、外出自粛で増えた家庭ごみを集める作業員などなど、実に多くの人たちが感染のリスクと闘いながら仕事をしているのだということに、あらためて気づかされました。
では、私たち山階鳥類研究所の所員の仕事はどうでしょうか。世界が厄災に覆われているときに、鳥類の研究を行うことがいったいなんの役に立つというのでしょう。私たちの仕事は、それこそ「不要不急」の作業なんじゃないか。そんなふうに考えると、仕事に対する無力感や、虚無感すら覚えてしまいそうになります。
そこで、自らの心の平穏を保つためにも、山階鳥類研究所の仕事について今一度考えてみたいと思います。私たちの仕事は、絶滅危惧種の保全や渡り鳥の標識調査、あるいは鳥類標本の収集や管理などさまざまですが、これらを大きくひとくくりにしてしまうと、「生物多様性の保全」ということになるかと思います。もう少し付け加えれば、「鳥類を通して生物多様性保全の重要性を世の中に伝える」ことが、私たちの大きな使命であると言えるでしょう。この仕事の意義を、コロナ禍に見舞われる社会の中でどのように位置付ければよいでしょうか。
新型コロナウイルスと生物多様性保全、一見なんの関わりもなさそうに思えますが、実はおおいに関係があることを、最近、国連環境計画と国際家畜研究所が報告書(注)としてまとめています。この報告書では、新型コロナウイルスのような感染症を引き起こす病原体の多くは動物由来であり、人為的な環境の改変がヒトと病原体の接触機会を増やすこと、コロナ禍と同様のパンデミックを防ぐためには迅速な対策が必要であること、その対策として、ヒトだけでなく動物や環境も含めた衛生を一体的に考える「ワンヘルス(One Health)」というアプローチが有効であることなどが述べられています。ワンヘルスの考え方を平たくいえば、ヒトが健康であるためには、家畜や野生動物、さらには自然環境そのものが健康でなくてはならない、分野を越えてそれらの健康を見守っていきましょう、というものです。「野生動物や自然環境の健康を見守る」というのは、病原体を持っていそうな動物を探し出し、駆除したりワクチンを接種して回ったりといった行為を意味しているわけではありません。そうではなく、野生動物とヒトの間で無用の軋轢(あつれき)を生じさせないよう、自然環境の変移を注意深く見守っていこうという意味です。
山階鳥類研究所で行っている個々の仕事は、はっきりと言ってしまいましょう、新型コロナウイルスの感染を食い止める役には立ちません。この緊急時に不要不急だろうと断じられれば、そのとおりと認めるしかありません。しかし、個々の仕事の総体、つまり私たちが目指す「鳥類を通して生物多様性保全の重要性を世の中に伝える」という作業は、このワンヘルス・アプローチの一端を担えるように思います。新型コロナウイルスという目の前にある危機に対し、私たちは無力かもしれないけれど、この先も起こり得るであろう未知の危機に備えるには、「生物多様性保全」の理念のもと、鳥類とその生息場所である自然環境を見守っていくことこそが有効である。そう信じて無力感や虚無感を追い払い、粛々と仕事を進めていく必要があるのかなと、先の見えないコロナ禍のなか、考えを巡らせています。
(文 みずた・たく)