2023年12月14日掲載
茨城県立歴史館の企画展「音楽家・松平頼則とその時代」で紹介されている松平頼則の父・頼孝は鳥学にゆかりのある人物でした。同館の石井裕さんに、企画展の趣旨と、とくに頼孝について解説いただきました。
茨城県立歴史館 首席研究員 石井裕
現在、茨城県立歴史館では、企画展「音楽家・松平頼則とその時代 ―時代を切りひらいた巨匠(マエストロ)の軌跡―」を開催中です(2023年12月17日まで)。松平頼則(1907~2001)は、子爵府中松平家(旧石岡藩主)の12代当主で、国内外の音楽賞を数多く受賞した「日本の現代音楽のパイオニア」と称される人物です。とくに戦後、日本の雅楽と西洋音楽の先進技法を結びつけた作品を次々と発表、国際現代音楽協会主催の世界音楽祭に13回も入選するという前人未踏の業績をあげ、平成8年には文化功労者に選ばれました。代表作《盤渉調越天楽(ばんしきちょうえてんらく)によるピアノとオーケストラのための主題と変奏》(1951年)は、「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した、唯一の日本人作曲家の作品としても知られています。本企画展では、初公開となる多くの資料とともに、20世紀という激動の時代を生きた松平頼則の生涯とその音楽活動の軌跡を追っていきます。
松平頼則の父頼孝(1876~1945)は、日本鳥学会創設メンバーの一人であり、また日本随一の鳥類標本のコレクターとして有名です。明治33年(1900)に宮内省の主猟官となった頼孝は、次第に鳥学への関心を深めていきます。日本各地に採集人を派遣、または委託しながら鳥類標本を収集し、ついには宮内省を退職して大正5年(1916)末に東京・小石川の邸内に標本館を建設しました。8,000点以上の標本を収め、狩猟、剥製、洋画、飼鳥などの専門家を雇った同館は、まさに日本を代表する鳥類研究所として機能していたといえます。しかし、栄枯盛衰は世の常。同館の事業費は約40万円(現在の約17億円相当)に及び、投資の失敗や身内同様の者の裏切りも重なり、大正12年ごろには破産同然の状況に陥りました。約2万点にふくらんでいた標本や剥製のコレクションは海外の大学や博物館からも熱い視線を浴びますが、「日本の宝」である松平コレクションを国外に流出させてはならないとして、山階芳麿、鷹司信輔、蜂須賀正氏らの鳥学者たちが分割して買い取りました。そのうち、山階家に渡った分は山階鳥類研究所に伝わり、現在でも世界の鳥学研究に貢献しています。
本展は、これら数奇な生涯をたどった松平頼孝や頼則を取り上げる初めての企画展です。ぜひ、ご来館ください。
(写真・文 いしい・ゆたか)