2023年6月8日掲載
2020年に予定されていた生物多様性条約の第15回締約国会議は、新型コロナウイルス感染症流行の影響から、2021年10月(中国・昆明)と、2022年10月(カナダ・モントリオール)の2部に分けて開催されました。この会議で決まった、「昆明・モントリオール生物多様性枠組」について、環境省野生生物課の中澤圭一課長に3回の連載で解説いただきます。
環境省 自然環境局 野生生物課長 中澤圭一
生物多様性の世界目標である「愛知目標」の後継となる「昆明・モントリオール生物多様性枠組」(以下、新枠組)が2022年12月にカナダ・モントリオールで開催された生物多様性条約第15回締約国会議第二部で決定された。
「愛知目標」は、2010年に愛知県名古屋市で開催された生物多様性条約(以下、CBD)第10回締約国会議で採択された、2050年ビジョン「自然と共生する」世界の実現を目指すための、2020年を期限とする20の世界目標である。そして、2030年を目標年とした後継目標が新枠組である。
今号を含めて3回に分けて新枠組について紹介し、第1回では、新枠組の背景となる生物多様性をめぐる世界的な状況を紹介する。
2018年5月にフランス・パリで開催されたIPBES第7回総会(注1)でまとめられた「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書・政策決定者向け要約」は、自然や自然の寄与(注2)は世界的に悪化しており、生物多様性は人類史上これまでにない速度で減少していると指摘した。その直接要因として、影響が大きい順に、①陸と海の利用の変化、②生物の直接的採取(漁獲、狩猟含む)、③気候変動、④汚染、⑤外来種の侵入を指摘し、これらの直接要因に影響を与える間接要因として、生産消費のパターン、人口動態、貿易、技術革新、ガバナンスの問題を例示している。
現状のままでは愛知目標やSDGsのような自然と持続可能性に関する国際的な目標は達成されず、社会変革(transformative change)を伴うことで達成が可能となると強調したこの報告は(図1)、社会経済活動での生物多様性配慮の促進や、新枠組の議論を科学的に支えるために大きな役割を果たすものであった。
CBD事務局が2020年9月に公表した地球規模生物多様性概況第5版(以下、GBO5)は、「愛知目標」の20の個別目標のほとんどでかなりの進捗が見られたものの、完全に達成できたものはないと評価し、その理由について、愛知目標に応じて各国が設定する国別目標の範囲や目標のレベルが、達成に必要とされる内容と必ずしも整合していなかったことを指摘した。
生物多様性の状況は地域の環境条件や人との関わり方によってさまざまであり、保全等の対応も一律ではない。このため「愛知目標」の実施において各国に柔軟性が認められていたことも「整合していなかった」ことの背景として指摘されている。地域によって対応方法が異なることは、温室効果ガスに起因する気候変動への対策とは異なる生物多様性課題の特徴ともいえる。そして、GBO5の指摘を踏まえて、世界規模で同じ方向で努力量を積み上げるために、新枠組の検討過程では指標や評価手法が重視されることとなった。
また、GBO5では、生物多様性の損失を減らし、回復させるためには図2に示されるように、保全等のいわゆる自然保護の努力に加えて、気候変動対策やその他(例えば、化学物質等が含まれる)の負荷の削減、そして、生産・消費活動に生物多様性を主流化することの重要性を指摘している。特に、移行が必要な活動分野として、①土地と森林、②持続可能な淡水、③持続可能な漁業と海洋、④持続可能な農業、⑤持続可能な食料システム、廃棄物の大幅削減、⑥都市とインフラ、⑦持続可能な気候行動、⑧生物多様性を含んだワン・ヘルスの、生物多様性と関連深い第一次産業が多く含まれる8項目を指摘している。
これまでの自然保護の努力に加えて、社会経済活動に生物多様性配慮を組み込む必要性の指摘は、前述したIPBESによる「経済、社会、政治、技術すべてにおける変革(transformative change)が求められる」との指摘と軌を一にするものであった。
日本も参加するG7では、2019年(仏)、2021年(英)、2022年(独)で野心的な新枠組の合意を目指すための議論が行われてきた。
G7メッス環境大臣会合(2019年5月)は、新枠組を意識して前述したIPBES第7回総会と連続して開催された。その成果文書の付属として採択された「生物多様性憲章」において、新枠組は愛知目標の実施から得られた教訓をもとに、包括的で分かりやすいミッション、野心的・現実的であり適切な指標と測定方法に関連づけられた個別目標を目指すとされた。
G7コーンウオール・サミット(2021年6月)では、その成果文書である2030年自然協約において、2030年までに生物多様性の損失を止めて反転させる「ネイチャーポジティブ」や2030年までに陸域・海域の各30%保全を目指す30by30(サーティバイサーティ)にG7国が率先することを明示した。日本は、この成果を受けて、生物多様性分野の野心連合(注3)に参加し、野心的な新枠組を先導するグループの一員となっている。また、英国はG7議長国となるこの年に合わせて、生物多様性の経済学 (The Economics ofBiodiversity(注4))を公表し、経済は自然の外部にあるのではなく、自然の内部に組み込まれていることの理解の必要性を強調し、自然に対する需要がその供給能力を上回らないようにし、自然の供給能力を現在のレベルよりも高めることなど、自然資本を基礎とした経済活動のあり方を指摘した。
さらに、2022年5月にドイツ・ベルリンで開催されたG7気候・エネルギー・環境大臣会合では、気候変動、生物多様性の損失、汚染という3つの世界的危機に統合的に取り組むこと、2030年までに生物多様性の損失を止めて反転させるために野心的な目標、強化された実施、計画、モニタリング、報告およびレビューを備えた革新的なポスト2020生物多様性枠組が極めて重要であることなどを強調した。
生物多様性と気候変動との統合的解決の必要性は、2020年12月に開催された「生物多様性と気候変動に関するIPBES―IPCC合同ワークショップ」においても強く指摘されており、この2つの課題をつなぐ「Nature based Solutions(自然を活用した解決策(注5))」の重要性が強調されている。
これら以外にも、2020年9月に国連総会に合わせて開催された国連生物多様性サミットやコロンビアが2021年8月に開催したPre―COPにおいても新枠組が議論され、また、2022年1月に公表された世界経済フォーラム(年次総会は「ダボス会議」として知られている)の世界リスク報告書では生物多様性が気候変動に次ぐリスクとして評価された。
こうした国際フォーラムで共通的に話題となったことは、気候変動をはじめとする環境課題との生物多様性課題の統合的な解決、社会経済活動への生物多様性の内部化、指標・モニタリング・評価の強化など、愛知目標の実施から得られた教訓や最新の生物多様性に関する科学的評価を踏まえたものとなっている。
次号からは、CBDの公式プロセスでの議論と新枠組の内容について順次紹介したい。
(文 なかざわ・けいいち)
(注1)Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学―政策プラットフォーム)は 2012年に設置された独立した政府間機関であり、生物多様性分野のIPCCとも呼ばれる。
(注2)Nature's Contributions to People は生態系サービスを包含する概念としてIPBESが提唱。
(注3)The High Ambition Coalition (HAC) for Nature and People
(注4)この報告書をまとめた英国の経済学者パーサ・ダスグプタ氏の名前からダスグプタ・レビューとも呼ばれる。
(注5)IUCNはNature based Solutions を「社会課題に効果的かつ順応的に対処し、人間の幸福および生物多様性による恩恵を同時にもたらす、自然の、そして、人為的に改変された生態系の保護、持続可能な管理、回復のため行動」と定義している。
「昆明・モントリオール 生物多様性枠組について」目次
*背景(第1回)、*検討過程(第2回)、*主要要素(第3回、最終回)