2017年6月7日更新
山階鳥類研究所では、絶滅危惧種のアホウドリを回復させるため、伊豆諸島の鳥島でデコイ作戦を行い、初寝崎で新集団繁殖地形成という大きな成果をあげました。(文中敬称略)
絶滅危惧種のアホウドリは大部分が伊豆諸島の鳥島で繁殖しています。鳥島の繁殖地は島の南東側の燕崎の斜面ですが、デコイ作戦は、島の西側の初寝崎(はつねざき)という緩斜面にアホウドリを誘き寄せて新たに繁殖を始めさせようというものです。ここに、アホウドリの実物大の模型(デコイ)をたくさん設置して、アホウドリの音声を流し、あたかもアホウドリの集団繁殖地があるように見せ、アホウドリを呼び寄せようというものです。アホウドリは集団で繁殖する習性がありますので、沢山の仲間の姿と声に引き寄せられるのです。
デコイ作戦の第一の目的はアホウドリの営巣地を条件のよい場所に誘致して個体数の回復を促すことにあります。従来からの繁殖地である燕崎は傾斜が急です。堆積した火山性の土砂がつねに流れ落ちているため、卵やヒナが巣から転がり出たり埋まったりする事故が多く、高い繁殖成功率がなかなか保たれません。島の反対側の初寝崎は草が生えた緩斜面で表土が流れ落ちないなど、環境条件がよりよいため、そちらで繁殖させることができれば繁殖の失敗が少なく生息数の回復が早まることが期待できます
デコイ作戦もう一つの目的は危険の分散にあります。燕崎の繁殖地は、尖閣諸島の少数の繁殖個体群をのぞけば世界で唯一の繁殖地でしたが、鳥島は火山島ですので爆発がいつ起るかわかりません。爆発の起り方や時期によってはアホウドリが絶滅したり個体数が激減したりすることも考えられます。同じ島内ではありますが、別の場所に繁殖地を新たに作ることにより、噴火による危険が分散できることが期待できます。
アホウドリはもともと鳥島の中に広く営巣しており、人間の迫害のせいで、人間が近付きにくく環境条件の悪い燕崎にだけ生き残ったと考えられます。迫害がなくなっても燕崎から離れないのは、生き残るための保守的な習性が理由なのかもしれません。羽毛採取の人間に殺される心配のない今では、島の反対側の緩斜面に誘致することに問題はないはずです。
アホウドリを誘致して繁殖させるためには、繁殖前の若いアホウドリを呼び寄せることが必要です。繁殖開始前の若い個体は、3~5才ころに初めて鳥島に帰って来ると、1~2シーズンは繁殖場所探しと番い相手探しをします。そして、良い場所と相手が見つかると翌シーズンからその場所で繁殖するのです。デコイ作戦でターゲットにするのはこのような、場所探しをしている若い個体です。こういった個体がデコイのまわりに複数着地することによって、新たな番いができそこで繁殖を始めると期待できるのです。
ずいぶん迂遠な作戦のようですが、集団で営巣する海鳥の生態を利用した巧妙な方法ということができます。従来の繁殖地の燕崎ですでに繁殖している成鳥は、一度決めた繁殖地に固執する性質があるので、一時的にデコイに引き寄せられても引っ越してはきません。仮に捕獲して運んできて放しても、元いた燕崎に戻ってしまうでしょう。また、巣立ち前のヒナを燕崎から運んできて初寝崎で育てて巣立ちさせれば、初寝崎を生れ故郷として認識して将来初寝崎に戻って来る可能性がありますが、このやり方は技術的にクリアーしなければならないことが多く、当面実施が困難と考えられました。(この方法は後に「小笠原諸島への再導入」プロジェクトに採用されました。)
デコイ作戦で使っているアホウドリのデコイ(模型)は、リアルに作った木型を元型として、繊維強化プラスチック(FRP)で複製し、本物のアホウドリそっくりに着色したものです。アホウドリの繁殖行動を模して、立ち姿の型、抱卵の型、首を伸ばした求愛ディスプレイの型の3つのポーズを用意しています。また羽色も頭が白く金色がかった成鳥の色彩と、頭が茶褐色の亜成鳥の色彩の二種類を用意しています。当時、初寝崎の斜面に90体のデコイを設置しました(※)。また、鳥の形をしたデコイの他に、アホウドリの卵そっくりの模型(擬卵)も設置しました。
アホウドリの音声は、2系統のスピーカーからそれぞれ、求愛の誇示行動の際の声と集団繁殖地のにぎやかな音を流しています。鳥島は無人島ですから電源がありません。このため、太陽電池パネルを設置して太陽光発電をし、その電気でICチップに録音された声が流れるようになっています。
こうして、デコイと音声によって活発に繁殖活動をしているアホウドリの集団繁殖地を再現しました。近くを飛び過ぎる若いアホウドリが思わず立ち寄ってみたくなる雰囲気ができることを目指しました。
アホウドリが鳥島に渡来するのは10月です。その後産卵、抱卵、育雛をへて親鳥は4月下旬頃には渡去し、新たに生まれた幼鳥も5月中~下旬には巣立って島を去ります。夏の間アホウドリのいない鳥島は台風の通り道となります。
デコイ作戦では、夏の間、デコイやその他の設備を片付けて建物の中にしまいました。これは台風でデコイ等が傷むのを防ぐためです。秋になり10月のアホウドリの渡来前に島に渡ってデコイの設置を行ないました。その後、11月に産卵状況の観察、2月にデコイ設置場所へのアホウドリの飛来状況の観察を行なうため渡島し、最後にアホウドリが島を離れる5月に再度渡島してデコイを撤収しました。
デコイを用いた鳥類保護の最初の事例は、1970年代にアメリカ合衆国のスティーヴン・クレス(当時、コーネル大学鳥類学研究所)がメイン州でニシツノメドリという集団繁殖性の海鳥の繁殖地の復活にデコイを活用したものです。アホウドリ研究者の長谷川博(東邦大学)はこの事例を読んで関心をもち、アホウドリにも応用の可能性があるとしていろいろな機会に紹介しましたので、1990年ころには日本の保護研究者の間でも知られるようになりました。しかし渡航の困難な無人島の鳥島で10年単位の仕事になることを考えると、実際にアホウドリで実行に移すという気運はなかなか盛り上がりませんでした。
しかし、長谷川の提案をラジオで聞いたバードカーバー(バードカービング作家)の内山春雄が、アホウドリのデコイの木型を作成して事態が動きだしました。バードカービングは、木で彫った鳥の彫刻で、北アメリカを中心に室内装飾として人気があります。内山春雄は日本のバードカービング界の草分けであり、第一人者です。彼はボランティアでデコイの木型を作成し、山階鳥研に持込んだのです。彼は後に、「いろいろな所に持って行ったんだけど断られて、いちばん最後にいちばん貧乏な山階に持って行ったら引受けてもらえたんだよ」と述懐しています。
山階鳥研ではサントリー世界愛鳥基金の助成金や一般からの寄付を受けて1991年に繊維強化プラスチック製のデコイを試作し、長谷川と共同で、11月に鳥島燕崎で6体のデコイと音声でテストを行ないました。その結果、設置後1時間程で幼鳥が近くに着地するという好結果を得ます。これに力を得て、1992年4月には初寝崎でテストを実施。これも好結果が出たのを受け、同年11月には41体を設置、徐々にデコイを90体まで増やし、三洋電機(株)寄贈による音声装置等の設備を加えてデコイ作戦を展開しました。1992年からは、種の保存法に基づいて山階鳥研への環境庁(当時)の委託事業となり、附随する保護活動とあわせて、各種の助成金や寄付金を企業、個人の皆様から受けて行ないました。
デコイ作戦開始から4年後の1995年秋に初寝崎での1卵の産卵・孵化が確認され1996年6月に巣立ちました。しかし、デコイ作戦は複数の番いによる集団繁殖地を初寝崎に作ることが目標なので、1番いの繁殖成功だけでは成功とはいえません。
集団繁殖地を作るためにはなるべくたくさんのアホウドリが初寝崎に飛来することが必要ですので、アホウドリがどのくらい滞在しているかを調べる必要があると考えました。下のグラフは初寝崎にどのくらいのアホウドリが着地しているかを、「滞留指数」という値を定義してあらわしたものです。(図1)
滞留指数=(観察されたすべての着地個体の延べ着地時間)÷(観察時間)
滞留指数は着地した個体数が多いほど大きく、また着地時間が長いほど大きくなります。これは毎年2月または3月に10日前後の観察をした結果から算出したものです。
グラフによれば、初繁殖の前のシーズンである1995年春から上がり、初繁殖のシーズンである1996年春には大きく跳ね上がっています。実際にも、たくさんのアホウドリが初寝崎を訪れたことが観察されました。その後、シーズンによっては低調なこともありましたが、2003年春には再び大きく上昇して、デコイ設置地域に多くのアホウドリが誘き寄せられているようすがわかります。
うれしいことに、2004年以降は新繁殖地を訪れる個体が多すぎて、滞留指数の計算に必要な、すべての着地個体の延べ着地時間を記録することが不可能になりました。そこで新たに、毎年2月または3月の観察で、夕方の17時に初寝崎に着地していた個体数をグラフに表しました。(図2)グラフから、10番いの造巣が観察された2004年春には夕方の着地個体数が上向き始め、2005年には更に増加に弾みがついているようすがわかります。
1995年秋に初寝崎で1卵の産卵が初めて確認され、1996年6月に巣立ったのを最初として、同一の番いの親から2004年6月までに7羽のヒナが巣立ちました。1996年の秋には別の番いが産卵まで至りました。そして2004~5年の繁殖期には、最初の番いを含む4番いが産卵し、4羽すべてが巣立ちました。2005年秋には繁殖番いが爆発的に増加し、16番いで産卵が確認され、2006年になってこのうち13羽の雛が孵化して無事巣立ちました。
2006年、二桁の雛が巣立ったことで、初寝崎に新たな集団繁殖地が形成されたことが確実となり、鳥島デコイ作戦は開始から15年後にようやく成功しました。(図3)
図3: 初寝崎新繁殖地でのアホウドリの繁殖経過 (2007年6月まで) | |
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1995~96年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち |
1996~97年 | 2番いの産卵 |
1997~98年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち |
1998~99年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち |
1999~00年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち |
2000~01年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち、 1998年春初寝崎生れの個体帰還 |
2001~02年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち、 1999年春初寝崎生れの個体帰還 |
2002~03年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち、 2000年春初寝崎生れの個体帰還 |
2003~04年 | 1番いの産卵・孵化・巣立ち、10番いの造巣 |
2004~05年 | 4番いの産卵・孵化・巣立ち、小コロニーの様相 |
2005~06年 | 16番いの産卵、13雛の孵化・巣立ち |
2006~07年 | 24番いの産卵、16雛の孵化・巣立ち |
鳥島デコイ作戦の成功を受け、2006年5月に撤収したあと、鳥島にはデコイを設置しない方針が固まりました。しかし、しばらくの間は、初寝崎のアホウドリの繁殖状況を追跡調査し、繁殖番い数が減少してしまわないかを監視する必要があります。また、従来の燕崎繁殖地についても、どのような経過を辿るのか引き続き観察をしています。
この後、アホウドリ回復活動の中心は、鳥島・尖閣諸島につづく第三の繁殖地形成事業(小笠原諸島への再導入)に移りました。また、鳥島でのデコイ作戦は終了しましたが、デコイは第三の繁殖地形成事業や事後モニタリングにも引き続き利用され、アホウドリ保護活動に役立てられています。