2012年1月11日掲載
沖縄島北部の「やんばる」だけに棲む飛ばない鳥として有名なヤンバルクイナは、1981年に山階鳥研の調査チームが捕獲して、学界に未知の種であることが確かめられたものです。同年12月の新種記載の論文発表から2011年12月で30周年を迎えます。この間に激減が報告され、2006年には環境省のレッドリストで、絶滅にもっとも近い絶滅危惧IAのカテゴリにランクされました。(→ 30年間の出来事を見る)
山階鳥研では発見後も調査研究を行い、保全のための情報発信を行ってきましたが、ここでは近年、地元で精力的に絶滅回避のために活動しているNPO法人 どうぶつたちの病院 沖縄の長嶺隆さんの寄稿を軸に、ヤンバルクイナについて改めて見直してみたいと思います。
(山階鳥研ニュース 2011年11月号より)
NPO法人 どうぶつたちの病院 沖縄 理事長 長嶺 隆
ヤンバルクイナの発見から早くも30年が経とうとしている。1981年山階鳥類研究所が発表した衝撃的なニュース「新種のクイナの発見」は「世紀の発見」ともてはやされ、沖縄県北部の森林地帯、やんばる(山原)の名を一躍全国区にした。一時「幻の飛べない鳥」と呼ばれていたが、その後の調査でやんばる地域全体に生息し比較的容易に観察できる鳥になっていった。ところが山階鳥類研究所の精力的な調査で発見から15年経ったころには生息域は明らかに減少しはじめ、20年後には生息域は半減してしまったことが判明する。現在では主要生息地は国頭村となってしまい、大宜味村や東村ではごくわずかに生息が確認される状況にまで減少してしまっている。
その最大の原因は外来種であるマングースとイエネコによる捕食で交通事故の発生や森林環境の変化が拍車をかけていると考えられている。今から10年前、山階鳥類研究所の標識研究室室長の尾崎清明氏らが森林内で採取された肉食獣の糞の中からヤンバルクイナの羽毛を発見し、その糞の中からネコのDNAを検出し、ネコによる捕食が確定的となった。その後のヤンバルクイナの減少の速度は、「絶滅」2文字が現実となってしまう恐れを予感させるほどであった。もしかしたら発見30周年は無理かもしれないという声さえ聞こえていた。
しかし、山階鳥類研究所がネコによる捕食を発表した直後から、ヤンバルクイナ保護をめぐる大きなうねりが巻き起こっていった。環境省はノネコの捕獲を開始し、地元やんばる三村、安田区をはじめ多くの集落、NGOなどが協力しネコの適正飼養のキャンペーンが広がり、同時進行でマングースの防除対策が広がっていく、2006年にはヤンバルクイナ保全のための国際ワークショップが地元国頭村安田区で開催され飼育下繁殖の必要性が議論された。
昨年には環境省ヤンバルクイナ飼育繁殖施設も完成し、人工ふ化の成功率も徐々に上昇し絶滅回避のための準備が整いつつある。ここ数年、生息数は少ないながら、1,000羽前後と安定し、減少傾向に歯止めがかかった。まだ楽観はできないが、これからヤンバルクイナの生息地を回復させ、やんばる全域のどこでも見ることができるようになるのが夢ではなくなってきている。 ヤンバルクイナの「奇跡の発見」と今現在やんばるの森をヤンバルクイナが疾走していることを心から喜びたい。
NPO法人 どうぶつたちの病院 沖縄 研究員 江藤奈穂子さん
環境省から委託を受け、昨年秋に国頭村安田(あだ)に完成した同省の飼育施設でヤンバルクイナの飼育下繁殖に取り組んでいます。秋のうちにケージへの順化とペアリングをしておくことが必要なため、昨年は時間的にぎりぎりでしたので、この秋から来春の繁殖期に向けて本格的な繁殖の試みに入ります。ヤンバルクイナの未来のために、保護に生かせる情報を得るとともに、野生個体群が万一最悪の状況を迎えたときには、個体群の維持にかかわる鳥を供給できるよう備える重要な仕事で、責任とやりがいを感じています(談)。